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宗教の世界史 【7】気づかない日本の宗教性

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【7】気づかない日本の宗教性

 最後に日本の無宗教性について再び触れると、日本の宗教というのは非常に複雑な宗教体系の統合であるといえます。 よく日本人は宗教が恐いといいますが、それはオウム真理教などの教祖のある宗教が恐いという意味であって、そこにはザビエルに向かって16世紀の日本人がご先祖はどうなるのかと聞いたときのような恐さと共通するものがあるように思います。

 教祖のある宗教への恐怖心を日本人が抱くというのはある意味で正常な反応なのであって、それは自分たちの宗教的立地点と異なるという直感のようなものです。 ですから日本人の無宗教性は宗教全般の否定ではなく、むしろ自然宗教の信奉を意味しているのだと思われます。

 ただこれが今子どもたちの間で崩れているのではないか、これが崩れるともう歯止めが効かないのではないか、そういう危機感を私は同時に持っています。

 若いころは誰でもよく欲望を抑えきれずに苦しむものですが、それをどうにか抑えられるのは日本ではそれが唯一絶対なる神様によってではなく、尊い無数の他者の存在によって可能だったのではないでしょうか。

 敬語の発達もその一つであって、命の尊さが自己の命の尊さだけになれば、いつまでたっても自分の欲望に押し流されるだけになってしまいます。敬語は、自分の命の尊さだけでなく、他者の命の尊さに気づくことによってはじめて発達します。 しかし今の子どもの現状は自分の欲望に押し流されるか、他人の欲望によって「いじめ」られるか、どちらか一つになっているのです。

 命の尊さというのは実は論理的に証明できないところが厄介なところであって、そこに宗教の役割があるように思えます。 宗教とは一言でいえば過去・現在・未来と命がつながることの大切さを見いだすことです。

 また土井健郎のいう「甘え」の心理は、心理学の用語として最近は定着していますが、その「甘え」の中にはその中にとらえきれない神との一体感のようなものが含まれているようです。 それは中国の天、インドのブラフマン、そういう超越神の中に見いだすような一体感と似たものがあるようです。 日本人の場合はそれを超越神とはとらえずに、それを自分の身の周りの近くの人に対して抱こうとする傾向がみられます。 そのような、身近な他者との梵我一如の状態を「甘え」として感じているようです。 ただその中で自分よりも、他人を大切にする境地に近づこうとする心性が、日本文化の高みに存在しているのであって、それが自分を「無」にする境地とつながっているように思われます。 しかしその「無」の境地は決して虚無的なものではなく、自分よりも価値あるものの存在に気づいた「無」の境地だと思います。

「伝統の問題は死者の生命の問題である」 「執着するものがあるから死にきれないということは、執着するものがあるから死ねるということである」 「私に真に愛するものがあるなら、そのことが私の永生を約束する」(人生論ノート 三木清 注1)





 

(注1) 三木清は戦前の哲学者。京都帝国大学卒業後、京都学派の中心となる。思想が自由主義的であるとして戦時中に投獄され、終戦の年の1945年に48歳の若さで獄死。混乱する戦後日本の思想界で彼の思想が十分継承されなかったことは残念である。

miki kiyosi



参考文献

風土  和辻哲郎 岩波文庫
モーセと一神教  フロイト ちくま学芸文庫
ユダヤ人と経済生活  ヴェルナー・ゾンバルト 荒地出版社
プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神  マックス・ヴェーバー 岩波文庫
一神教VS多神教  岸田秀 新書館
多神教と一神教  本村俊二 岩波新書
一神教の誕生  加藤隆 講談社現代新書
ローマ人の物語1  ローマは一日にして成らず  塩野七生 新潮文庫
ローマ帝国の神々  小川英雄 中公新書
サガとエッダの世界  山室静 教養文庫
世界神話事典  角川書店 
世界の歴史4  オリエント世界の発展  小川英雄・山本由美子 中央公論社
世界の歴史5  ギリシアとローマ  桜井万里子・本村凌二 中央公論社
世界の歴史4  ギリシア  村田数之亮・衣笠茂 河出書房新社
世界の歴史5  ローマ帝国とキリスト教  弓削達 河出書房新社
世界の歴史10 西ヨーロッパ世界の形成  佐藤彰一・池上俊一 中央公論社
世界の歴史9  ヨーロッパ中世  鯖田豊之 河出書房新社
世界の歴史12 ルネサンス  会田雄次・中村賢二郎 河出書房新社
キリスト教の歴史  小田垣雅也 講談社学術文庫
古代エジプト  笈川博一 中公新書
古代ユダヤ教  マックス・ヴェーバー 岩波文庫
日本人とユダヤ人  イザヤ・ベンダサン(山本七平) 角川文庫
比較文明社会論  シュー 培風館
世界の歴史3  古代インドの文明と社会  山崎元一 中央公論社
世界の歴史6  古代インド  佐藤慶四郎 河出書房新社
カイエ・ソバージュ 2 熊から王へ  中沢新一 講談社選書メチエ
カイエ・ソバージュ 4 神の発明  中沢新一 講談社選書メチエ
沈黙の宗教 儒教  加地伸行 ちくまライブラリー
「論語」を読む  加地伸行 講談社現代新書
世界の歴史2  中華文明の誕生  尾形勇・平勢隆郎 中央公論社
世界の歴史3  中国のあけぼの  貝塚茂樹 河出書房新社
日本仏教史  末木文美士 新潮文庫
日本仏教の思想  立川武蔵 講談社現代新書
空の思想  立川武蔵 講談社学術文庫
日本文化の歴史  尾藤正英 岩波新書
村のなりたち  宮本常一 未来社
開拓の歴史  宮本常一 未来社
日本人の神はどこにいるか  島田裕己著 ちくま新書
日本人はなぜ無宗教なのか  阿満利麿 ちくま新書
日本民族文化体系 3 稲と鉄 さまざまな王権の基盤  小学館
日本史からみた日本人・古代編  渡部昇一 祥伝社
日本中世史像の再検討  勝俣鎮夫 山川出版社
甘えの構造  土居健郎 弘文堂
聖書と甘え   土居健郎 PHP新書
発達障害の豊かな世界  杉山登志郎 日本評論社
誇大自己症候群  岡田尊司 ちくま新書
人生論ノート  三木清 新潮文庫




自民党敗北ではなく、吉本芸人のことばかり

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先週日曜日の参議院選、自民党は議席を減らし、単独では過半数を取れなかった。そのことが話題にならない。

代わりに吉本芸人の反社会的勢力との闇営業のことばかり。こんなことを異様なほど、マスコミは取り上げている。代わりに政治向きの話題はマスコミから消された。選挙が自民党の敗北に終わったその翌週の報道が、吉本芸人の闇営業ことばかり。おかげで自民党の勢力低下は、日本人の心に残らなくなった。
このことは2009年夏の総選挙を前にして自民党に逆風が吹いていたとき、タレントの酒井法子と押尾学の覚醒剤使用問題がこれでもかというほどマスコミで取り上げられた、その時と同じだ。
知られたくない話題は、公共の電波を使って、別の話題を上からかぶせる。そうすると多くの国民は大切な話題を忘れてしまう。民主主義が危険なのは、国民がいい加減で忘れっぽいからではなく、そのことを権力が知っていて、自分の都合の悪いときはそれを利用して助長させるからである。


かんぽ生命叩きが始まった

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郵政民営化は、コイズミが米国生保に、かんぽ資金をたたき売ったもの。ここにきてやはりかんぽ叩きが始まった。
職員に不適切な勧誘活動があったと。今後のノルマは課されないそうな。これでかんぽの人気はガタ落ち。資金は流出するだろう。そして思い通りにアメリカに資金は流れていく。

日韓はおなじ親米国なのに、反発し合う

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日本と韓国は同じ親米国なのに、仲が悪い。 戦後70年を経て、仲がよくなるどころか、ますます悪くなっている。 「分割して統治せよ」 アメリカの思惑どおりである。 アジアはそれぞれがバラバラであったほうがいい。 それがアメリカにとって一番いい。
日韓はおなじ親米国だから、反発し合うように仕向けられている。

国際経済の仕組み

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薄汚いものを、崇高なものに見せかけろ。どうせ奴らには何も分からないのだから。
紙切れをドルとして刷れば、いくらだって有り難がるんだ。

間違いが暴かれても、なぜそれが放っておかれるのか

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無関心は、独裁の味方。間違いが暴かれても国民が怒らなければ、政治家は味をしめる。多くの国民が政府の間違いに気づきながらも、無関心を装っている。関わり合いになりたくないと思っている。自分がかわいいというより、みんなバラバラで孤立しているから。
人を孤立させれば、権力にすがるしかなくなる。権力が個人主義を煽るのはそのためである。みんながバラバラであれば、政治はしやすい。



民主主義なき資本主義

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民主主義は、お金で政治を支配するための1つの方法である。
王政は世襲制であるからこれはできない。
しかし民主主義は選挙制であるから、自分の好む立候補者にお金をつぎ込めば、票を集めることができる。そしてその候補者が国会議員に当選したあとは、自分の思うように彼らを操ることができる。

よく金融資本による議会支配の例として19世紀終盤のアメリカ議会が取り上げられるが、それより先にお金による政治支配が行われていたのはイギリス議会である。それはイギリス首相のディズレーリとロスチャイルド家との関係を思い浮かべればいいだろう。

資本主義の条件に民主主義があるのではなく、民主主義は資本主義の手段である。条件ではなく手段であるということは、民主主義以外の手段もありえるということである。今の中国は民主主義なき資本主義である。

それは一国の政治を、君主制から資本家に移行させるための手段である。
君主制は、資本家による政治支配の妨げとなる。
資本家たちは、まず君主に取り入り、そして次に彼らが邪魔になると排除し、王制を打倒した。アメリカ独立以降、フランス革命などで起こったことはこれである。

王のいない共和国として初めて成立した国はアメリカである。
自由の国アメリカは、国民にとって自由な国であるばかりでなく、資本家にとって最も自由な国であった。
その共和制国家アメリカが成立したとたんに、次々とヨーロッパに王のいない国が成立していく。

その一応の完成が第一次世界大戦である。
この戦争の最も大きな成果は、ロシアとドイツとオスマン帝国で、王制が消滅したことである。

資本家の誘導による選挙、これが民主主義の要である。
ドイツと日本はこれを否定しようとした。選挙から資本家の力を排除しようとした。
これに憤ったのは国民ではなく、アメリカとイギリスである。
アメリカとイギリスは、選挙から資本家の誘導を排除することをファシズムと呼んだ。アメリカとイギリスが最優先したのは金融資本家たちの利益である。
米英のいうファシズム国家は、金融資本家たちの力が選挙に及ばないようにし、彼らを軍部に協力させた。
これが第二次世界大戦である。

民主主義の本質は、国民による政治ではなく、選挙による代議制にある。
代議制の本質は誰かの代弁者であるということである。
誰の代弁者なのか。そこがポイントである。

選挙で誰が勝つかにすべてはかかっている。
そうなればお金のある者が勝つ。
またはお金によりマスコミを支配する者が勝つのである。
この代議制は国民の代議制ではなく、お金持ちの代議制となる。

現代では、国民に本当の情報がもたらされることはまずなく、国民は常にマスコミの誘導によって投票する。

「授業でいえない世界史」2 4話 古代中国 後漢~三国時代

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【後漢】  反乱の中で、前漢の末裔で豪族であった劉秀が即位し、後漢(25~220)を建てます。彼が光武帝です。
 57年に日本の奴国に「漢の委の奴の国王」の金印を送っています。そしてこれがずっと後の江戸時代に福岡県の志賀島から発見されます。そういうふうに日本史と関係します。
 後漢になると匈奴を蹴散らしていく。家来は班超という人物です。

 それからこの後漢の文化水準についていうと、紙がすでにあったということです。なにがそんなに不思議か。ヨーロッパではあと千年も紙がないんです。これは蔡倫という人です。

 それから、だんだんと農民の土地をお金持ちがガメて大土地所有していく。ヨーロッパは徹底的に大土地所有ばかりになるんだけれども、中国がちょっと違うのは、ある限界超えると、農民が本当に腹を立てる。限界超えた瞬間に、農民が国を潰す。  また農民反乱です。184年に黄巾の乱。黄色い鉢巻きです。黄巾の巾とは鉢巻きです。目印に黄色い鉢巻きをして本気でやる。鉢巻きは本気の証です。この農民反乱で一国の王が殺される。

 こういう農民反乱が頻繁に起こるのは、中国だけです。たまにヨーロッパでもおこるけど、起こすのは農民じゃない。貴族です。でも中国は農民です。ということは、中国ではすでにこの段階で社会の基盤として、小さな土地を持った小農民、彼らが力を持った社会が成立していたということです。これを怒らせるととんでもないことになる。国がひっくりかえる。

 そこに民間宗教が加わる。
 この黄巾の乱は、なぜ死を恐れなかったか。宗教です。太平道とか五斗米道(ごとべいどう)という民間信仰、これらがのちの道教になりますが、こういう宗教が農民反乱と結びつく。
 反乱と宗教はよく結びつきます。それは日本の戦国時代でも見られることです。宗教と結びついた反乱は死を恐れなくなります。
 後漢は220年に滅びます。


【宦官】 それで、この漢の時代の文化です。
 秦の始皇帝は法家思想を重視して儒教嫌いだったけれども、普通は儒学です。中国の学問は儒学です。孔子の教えです。
 中国ほど歴史を詳しく書いていった国はない。まだ歴史家というのは、この時代にはいないけど、今の歴史に匹敵するような歴史の本を書いた人物がいる。彼を司馬遷という。司馬が名字、司馬の遷さんです。この歴史書が史記です。
 この司馬遷、本当はいい男だった。役人だった。しかし、この人は上に反発して宦官にさせられる。中国にはこれがある。日本にはない刑です。玉を切られる。上に逆らって、王が罰としてタマを切る。つまり虚勢する。そして王の嫁さんたちの世話をさせる。

 中国にはこういう人がいっぱいいる。彼らは政治犯とか、頭がいい人たちです。
 だから宦官が力を持つ。中国で力を持つのは二つの勢力です。
 一つは嫁さんの親戚。もう一つがタマを切られた男。つまり外戚と宦官です。これは覚えてください。
 王に逆らって、宮刑といってタマを切られて、宦官にさせられる。その屈辱の中で、それでもオレは正しいことをちゃんと書くんだ、と言って完成させた歴史書です。
 これがすばらしいのは、王様のいうとおりに書いていない、ということです。嫌いなものは嫌い、ダメなことはダメと、自分が思ったとおり書いている。
 そこが非常に優れた歴史書だと、2000年経った今でも言われます。これが司馬遷の「史記」です。

 歴史は勝てば官軍で、ふつう勝者によって書かれますが、それでも本当に歴史を勉強した人は、命をかけて本当のことを書こうとしてきた。
 だから歴史家とは本当は危険な職業です。それを承知でやむにやまれず、本当の歴史を書こうとした人がいる。それをバカだと思うか、男のロマンだと思うか、そこが人間の分かれ目です。
 正義とは何か、そんな難しいことは私には分からないけど、ここには確かに自分の利害を超えた正義が発生しています。
 権力に逆らうと殺される。その前に男はタマを切られる。非常に屈辱的な罰ですね。この屈辱がいかに大変なものか、感覚的にわかるでしょう。当たり前のごとくついていて、時々邪魔になったりするけれども、これがないと男は非常に困ったことになる。これに打ち勝つには強い精神力が必要です。中国には伝統的にそういう刑罰がある。

 もう一つ要らないことを言うと、宮刑つまりタマを切るというのは、農耕民の伝統ではない。馬を飼ったり、牛を飼ったり、豚を飼ったりしている家畜農家というのは、家畜のタマ切りがうまい。これは遊牧民の伝統です。
 中国にはこうやって遊牧民の伝統が入っている。タマを切る刑は農耕民は思いつかない。雄の暴れ馬とか暴れ牛、そういう気の荒い動物はタマを切るとおとなしくなる。遊牧民族とか動物を飼っている人は、それを知ってる。噛みついてばかりいるような動物は危険です。それでひと思いにタマを切る。
 日本人のような農耕民は、子供のときから、子犬でもちゃんとしつけて、噛まないようにしつけるけど、彼らはエイ面倒だ、タマ切ってしまえです。そうするとおとなしくなる。
 でもこの司馬遷はおとなしくならなかった。悔しさをバネに、一生懸命に歴史を書いた。人間というのはそういうことができますね。
 これは歴史を書いて名を残すとか、そういうこととはまったく違った次元の問題です。男にとってタマ以上に大事なものを見つけられるかどうか、それは人生の大きなテーマだと思いますね。


【シルクロード】  そのタマ切りをする遊牧民です。遊牧民の活動するアジア大陸は・・・アジア大陸の北の方は言ってないけど・・・ここは三つに分かれて、東西に3つの帯があります。
 1番目には森です。針葉樹林の松がずっとある。これをタイガといいます。
 2番目には草です。草の道、がここにある。遊牧民はどこで活躍するか。この2番目です。草原です。
 3番目に、その南になると砂漠です。砂漠には人が住まないじゃなくて、ところどころオアシスがあって人が住めるんです。山からずっと水を引いてきて、これがカナートとかフォガラとかいいます。水路を地下にずっと通すんです。
 ヘリコプターから見るとところどころに穴がボコボコと空いていて、何だろうかと思ってみると地下水路なのです。すごい土木工事と維持管理です。何十キロと水を通すための地下トンネルを掘らなければならない。こんなことをやる人たちもいる。
 しかし、ここでのメインはこの2番目の草原です。


【草原】 そういう意味で、中央部は三つにわかれている。森林、草原、オアシスの3つです。
 遊牧民の活躍するところは、そのうちの草原です。ここに、かなり古くから遊牧民が暮らしています。この時代に突然できたんじゃない。
 しかし彼らは、農耕民と違って、文字を発明しなかったから古いことはわからない。
 彼らは、ただ馬のあとをついて行くんじゃなくて、馬の背中に荒くれ男の誰かが乗った。そしたらみんな真似して乗り出した。それが遊牧の技術になって、それが戦闘に使うまでに高められていく。
 そうすると、軍事的に圧倒的に強くなる。中国人の比じゃなくなる。そういう人たちがこの草原地帯にいる。
 西から東まで、西に行けば行くほど、肌の色はヨーロッパ人に近づいていきますが、肌の色には関係なく、草原で暮らす生活の技術というのはこの騎馬民族に繋がっていくんです。

▼ユーラシア大陸の東西交易路


 前6Cにロシア近くで現れたスキタイ人という騎馬民族が出てくる。名前からして白い肌の人でしょう。ヨーロッパ人に近い。彼らが最初の騎馬遊牧民だといわれています。
 中国に近づくとオアシスの民がいる。砂漠の中にはところどころオアシスがあって、そこで農耕を営んでいる。

 農耕民は家を建てて定住するから物を貯められる。でも騎馬民族は移動しなくてはならないから蓄えられない。
 春の草を1年かけて馬が全部食ってしまったら、草原はパーになって再生できない。チョッと残しておくのがミソです。何でもそうですね。全部取り尽くしてはダメです。だから馬が草を食い尽くす前に移動して、別の場所を探さないといけない。1年のうちに最低2回は移動しないといけない。

 家に物を貯めていても持って行けない。だから貯めない。だから完全に自給できないのです。
 何か必要なものは、このオアシス農民の世話になるしかない。交換してくれ、乳をいっぱい持ってきたから、交換してくれ。こういう交易が出てくる。
 そこでその商売上手な人たちも、この地域にはいっぱい出てきて、これがソグド人という人たちなんです。


【シルク】 ただ一番最初に言ったように、アジア大陸の西と東で、西のヨーロッパが進んでいると思ったらわからなくなる。
 どっちが人口収容力があるか。どちらが物が豊かだったのか。東の中国が米作りで物が豊かなんです。
 豊かなところはいろんな余剰生産物、高価なものを作ることができる。これがシルクです。シルクは絹です。

 絹といってもわからない人もいるからいいますけど、これは何からつくるか。これは動物性繊維です。シルクというのは何の糸か。糸を出す動物はいっぱいいる。蜘蛛でも糸を出すでしょう。これなんです、蚕です。
 こう書いたら、テントウムシ、天と虫、なんて読む人がいる。これはカイコと読みます。このカイコの糸を束ねて、太くすると生糸になる。この生糸を、縦糸と横糸を折り合わせる技術を持つと布になる。それを絹という。非常に美しい布になる。
 英語でシルクといって、ヨーロッパ人が欲しくて欲しくてたまらない。自分たちでは作れない。すごい技術だ。欲しくて欲しくて、これを延々と東の中国に求めた。その道をシルクロードといいいます。

 モノの流れはヨーロッパからアジアじゃなくて、逆にアジアからヨーロッパに流れる。これは昔からずっとです。ヨーロッパ人がアジアのものを欲しがった。
 では中国人は、ヨーロッパに何か欲しいものあるかというと、ありはしない。十分足りている。ずっとこれです。買ってよ、と言われても、買いたいものがない。
 でも2000年後、武力で脅して、買わないか、と言う。何を持ってきたか。これが麻薬、アヘンです。これがアヘン戦争です。2000年後、要らないのに売りつけていく。これはずっと後の話です。
 何千キロの荷物を1匹のラクダが運んだりしませんよ。100キロごとぐらいに、リレー式で行くんです。その過程を繰り返していくと途方もなく高くなっている。それでも欲しがったということです。
 そのシルクロードの道は5~6本あるけど、その中心をいうと、シルクロードはこの道、この道が中心です。ここらへんは中国史によくでてくるけど、込み入っていてよくわからなくなる。

 一番わかりにくいのは、アジアの真ん中、これを中央アジアといいます。中央アジアの目印は、今は水が干上がってだんだん小さくなっていますが、そのアラル海に流れるアム川、シル川です。これが目印です。
 これを中心にして、この地域を中央アジアという。もともと肌の白い白人が住んでいたらしいけど、今は東の中国方面から来た騎馬民族が住んでる。千年間で血がまじり合って、いろんな顔の人たちが住んでいるところです。これが陸の道です。

 それからもう一つ、海の道というのがある。港として有名なのは広州です。この広州に香港がある。広州に入り口の、入りやすいところにイギリスがつくったのが香港です。そして植民地にした。これは19世紀のことです。こういうルートで海でも行けるということです。

 この陸の道の険しさは、中国の山は日本の比じゃなくて、世界で一番高いヒマラヤ山脈、これはまず越えられない。山は、酸素ボンベをつけないと越えられない。
 あとテンシャン山脈というのがある。この山は避けていく。山越えして行くと高すぎて高山病になる。普通の人間にはできない。
 そういったところを、200~300年ごとに騎馬遊牧民が移り変わって、そのたびに名前が変わります。

▼2世紀の世界


【騎馬遊牧民】  中国を見るときに、農耕民と騎馬民族のこの関係を頭に入れておかないと、グチャグチャになる。
 中国人の本当の敵はこっちなんです。2番手に国内のライバルがいる。国内の敵に手を焼いていると、外からバカッとやられる。その代表的なものがモンゴルです。
 モンゴルの強さ、あれほど広大な帝国を築いたのはモンゴル以外にない。いまだかつてあれほど大きな国をつくった民族はない。ロシアだっておよばない。

 漢の時代には、北方騎馬民族は匈奴だった。南の秦とまず戦った。秦がすぐつぶれて漢になっても負けなかったが、しかし武帝の時代に敗れて衰退した。
 それが西の方でフン族となり、ローマ帝国を滅ぼした。そのことはすでに言いました。

▼騎馬遊牧民の変遷



【鮮卑】 ではその次、このあと出て来る民族がいます。匈奴がいなくなったからといって人がいなくなったわけではなくて、また別のグループがモンゴル高原に来る。これを鮮卑(せんぴ)といいます。
 これも中国人が呼んだ名前だから、卑しいとか、ちょっと蔑んだ名前をつけていくんです。
 しかしこれが一度強くなって中国に入るとダントツ強いんです。それで中国に侵入して自分たちの国をつくる。遊牧民の国です。漢字になっているから中国人みたいですけど。

 中国人の国はこういう北方遊牧民がつくった国というのはいっぱいある。名前だけ中国風にするから、我々日本人は中国人だと勘違いするけど、彼らは遊牧民です。
 彼らが中国の支配者層になっていく。彼らは政治力は弱いけど、戦いになると強い。
 実はこのあと出てくる隋と唐。日本が遣隋使、遣唐使を送った国です。これも遊牧民の国で、彼らの血の半分は鮮卑族です。


【突厥】 その唐の北方に、突厥というグループが出る。「とっけつ」と中国人が呼んだ。どうもトルコという発音みたいです。
 トルコと言えば、西のヨーロッパの入口にある国です。1000年の間にそこまで何千キロも移動する。東から西にずっと移動していく。
 そしていまトルコ共和国になっている。トルコ人はもともとモンゴル高原出身です。

 それからウイグル。これもトルコ人の一派で、これはまだ中国にいる。独立運動している。新疆ウイグル自治区というのが中国内にある。
 こうやってトルコが西に移動した。中央アジアは白人の世界だったのが、だんだんとトルコ人の地域になっていく。

 最初は匈奴、次は鮮卑、柔然は飛ばして、次が突厥、これはトルコです。ウイグル、彼らは今も中国国内にいる。漢民族じゃない。
 彼らは荒らし回る脇役というより、ある意味主役です。このあと、ジンギスカンのモンゴル帝国が出てくる。彼らがアジア大陸の主役です。


【三国時代】  漢が潰れたあと、中国はどうなるか。漢が潰れて、中国は三つに分裂します。北の魏、南の呉、西の外れの蜀、これを三国時代といいます。
 この時代の歴史は日本の漫画でも有名です。「三国志」です。劉備玄徳とかいろいろ出てきますが、それはカットです。三国の名前は、魏、呉、蜀です。
 これだけが主役じゃなくて、もう一つの主役に騎馬民族がいる。匈奴がいる、鮮卑がいる、ということです。

▼三国時代の中国



【邪馬台国】 それから、日本との関係で言えば、日本は女王がここに使いを出した。
 女王とは誰か。女王卑弥呼です。国は邪馬台国です。
 昔、カステラのコマーシャルだったか、なんだか忘れたけど、「魏志倭人伝の昔から」というフレーズのコマーシャルがあった。
 魏志倭人伝です。邪馬台国のことは、中国の魏の歴史書に書いてあるんです。日本にはまだ文字がないです。日本の邪馬台国がなぜ分かるかというと、中国の魏に書かれているからです。日本から王様の使いが来たと。この時代のことです。紀元3世紀、200年代です。
 魏も呉も蜀も、約50年間争ったあと結局は国家統一に失敗して、別の統一国家ができた。
 これが晋です。あとで移動して東晋になるから、区別して西晋という。建国は265年、建国者は魏の家来の司馬炎です。
これで終わります。ではまた。


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「授業でいえない世界史」2 3話 古代中国 戦国~前漢

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【戦国時代】  古代中国、戦国時代の続きです。中国の紀元前500年あたりです。今から2500年ぐらい前、時代は戦国時代です。日本にも同じ名前がありますがもともとは中国の名称です。
そこで戦国の七雄が、お互いに覇を競う。オレが全国統一にむけて一番の名乗りを上げるんだとして相争う。そういう時代です。


【貨幣】 中国では、すでにこの時代にお金なるものが出てきます。それまで各地方がバラバラに発行していたものを最初に統一しようとした国が、七雄の中では一番西のはずれにあった田舎の国、秦です。これが最初の統一国家をつくっていく。
 お金を統一しようとして、決めたお金を半両銭という。ここからお金の統一事業というのがまず始まっていく。その結果、その国の国家の統一事業に成功していきます。ただこのあたりの因果関係はまだよく分かっていない。ただお金は要注意です。

※ コインは、小アジアで生み出された「刻印貨幣」と、中国で生み出された「鋳造貨幣」の二つのグループに大別される。前者は金または銀という貴金属の価値を保証する刻印を支配者が刻んだお金であり、多くの文明がそうした立場に立つ。後者は青銅、銅などを地金とし、さほど価値を持たない素材を、神の代理人とされる皇帝の権威によって価値づけたお金であり、抽象度が高い。前者は交易の中で作られたお金、後者は政治的に作られたお金とみなされる。中国のお金は、統治者の信用に依存する。(宮崎正勝 お金の世界史)

※ 春秋戦国時代に都市が成長して商業が盛んになると、各都市の商人が取引を円滑にするために地方ごとに刀、クワなどの形の異なる青銅製のお金を発行し、秦の統一とともに皇帝の権威・権力とお金が結びつけられた。中国ではお金の価値については政府が責任を持ったが、実際にコインを鋳造したのは地方であり、時代によっては有力な私人だった。そのために偽造されたお金が多く出回ることになった。(宮崎正勝 お金の世界史)

 その時の中国を支配したのが、戦国の七雄です。斉・楚・秦・燕・韓・魏・趙の七雄です。七雄の一番西のはずれ、これが秦です。一番はずれの一番勝ちそうにない国が勝っていく。その秦がいち早くやっていたのが通貨の統一です。


▼戦国時代の中国



【万里の長城】 中国は農耕民ですけれど、その北方には遊牧民がいます。この時代は匈奴ですけど、これが名前をコロコロ変えてきた。実体は変わらないけど、時代によって名前がコロコロ変わっていきます。
 中国はこの遊牧民と農耕民の争いなんです。それでグジャグジャになっていく。
 それをどうにか防ごうとした痕跡が、人工衛星から唯一肉眼で見える建造物、これが万里の長城です。この時代にはまだ国ごとにつくっています。今の万里の長城はこの時代から作り始めています。ただ目的は一貫している。匈奴対策つまり遊牧民対策です。
 そういう中国で、戦国の七雄の時代から現れてくるのが、国家を統一するためには、同じ考えで国を統一するという作業です。


【諸子百家】  考え方が変わってくるんです。思想なんて役に立たないではない。ある考え方をみんな共有できた時に国が固まっていく。この時代にはいろんな考え方が出てくる。その中でナンバーワン思想になっていくのが儒教です。仏教ではありません。
 勘違いの1点目、日本の仏教は日本思想である、これは基本的な間違いです。次の勘違い、仏教は中国思想だ、これも間違いです。仏教はインド思想です。儒教と仏教は中国では対立する思想です。


【儒教】 中国思想は儒教です。国語の漢文で扱う論語は、孔子という人が言った教えです。ここに国の統一につながる考え方が現れます。
 1番わかりやすいのが、天下を平和にするためには、まず修身です。これは各人が努力して身を修めるということです。そして各人が独立するということです。
 次は家です。身を修め、家を治め、国を治めれば、おのずから天下は平らになる。「修身、斉家、治国、平天下」という考え方です。ポイントは家です。
 儒教の核には「孝」があります。親孝行の孝です。これは日本にも定着しています。親を敬う、生きている親だけではなく、死んだ親まで敬う。そうすると何になるか。これが祖先崇拝です。

 この考え方は日本人に非常に近い。一回忌、三回忌、7回忌、13回忌、33回忌、50回忌で弔い上げとか日本人はします。50回忌まで行うのは、すでに孫の代です。私も何度か親戚の法事の50回忌に出席したことがあるけど、少なくとも50歳以上でないと故人のことは知らないんです。40代ではまだ生まれてないから。
 親を大切にして生きている親だけではなく、死んだあとまでその親を敬う。それが「孝」です。これが家族道徳の基本になる。家族がしっかりしていれば、国がしっかりし、天下は平和になる、という考え方です。社会の核は家です。

※ 親に対する「孝」といった家族道徳を社会秩序の基本におく(詳説世界史B 山川 P66)

※ 祖先の魂を呼び戻す行為の主催者は子孫 中国人は、生きて在る親に対してだけではなくて、死せる親に対してつくすことをも孝としたのである。すなわち具体的には、親の命日に、親の魂を霊界から呼び戻す行為を行う。いわゆる招魂儀礼である。これを職業的に行っていたのが、原儒というシャーマン集団であり、孔子の母は、この集団の出身であると考えられる。そうなると、このように祖先の魂を呼び戻す行為の主催者が必要となる。誰がそれを担当するのかといえば、子孫以外にしてくれる者はいない。(「論語」を読む 加地伸行 講談社現代新書 p77)

※ 招魂を行うためには、二つの条件が必要である。まず第一は、死者の招魂儀礼を行おうとする遺族、子孫が存在する必要がある。第二には、その魂降ろしをする主祭者(シャーマン)が必要である。・・・・そしてこの招魂儀礼をきちんと行うことを、(中国人は)孝の中に含めたのである。父母亡き後も、祭祀する事を賢明に行うことは、実は自分の死後の霊魂に対するあり方のモデルなのである。自分が死せる父母を祭祀して亡き父母がこのなつかしい現世に再び帰ってくることができるようにそのように、自分の死後、子孫が自分に対して招魂してくれれば、再び自分もこのなつかしい現世に帰ってくることができることを期待するのである。 父母の招魂も、あるいはその鎮魂も、ともに実は、自分の死にたいする恐怖や不安を解消する方法なのである。 (「論語」を読む 加地伸行 講談社現代新書 p116)


  ヨーロッパはちょっと違う。中国に比べればヨーロッパの家族関係は希薄です。個人重視です。
 中国では家族が国までつながっていく、という考え方があります。
 儒教の底には、親が死んだ後まで敬う、という宗教観があります。そうなると祖先崇拝になっていく。それが強い前に言った家族意識、血縁意識、一族意識を生んでいきます。

 祖先崇拝は日本人にもわかりやすい。簡単にいうと墓参りですよ。
 これをもっと大々的に行うのです。父方の一族で構成される「宗族」というのがあって、50~60人、場合によっては100人超えて盛大に祖先の法事を行う。
 ただこの祖先崇拝をするときの条件は、赤の他人がやってはダメなんです。これは血を受け継いだ直系の子孫の仕事なんです。それも父方の子孫でなければならない。娘はダメです。男の仕事です。そうでないと祖先の御霊は喜ばない。だから祖先の霊を呼び戻すことができない。
 ホントですかと聞かないでください。ホントかどうかという話をしていません。中国人はそう信じてきた、そしてこれが社会を動かすエネルギーにまで高まってきた、ことを言っています。

 このことを守っていれば、自分もいずれは死んで、ご先祖様になってもちゃんと祀ってもらえる、という安心感になる。これが死に対する不安を解消してくれる。ちゃんと祀ってもらえる、という安心感につながる。祀られない魂は成仏できない。祀られて初めて、死んだあと幸せになれる。
 現代人はそうは思わないかも知れないけれど、昔はそうではない。そのことを軽く見ると歴史は分かりません。歴史は小説と同じです。登場人物の気持ちにならないと面白くない。


【霊魂】 エジプトの古代人を見ても、死んだあとの世界のためにどれだけのエネルギーを費やしたか。そのことがピラミッドです。
 今のブルドーザーやトラックを持ってきても、あれだけのものはつくれない。日本の大手の建設会社でも、あんなものをどうやって作ったのかわからない。そんなものを何千年も前に作っている。あれは死後の世界とつながっています。そのことが分からないと、なぜ古代人がこれほどのエネルギーを注ぎ込んだのか分かりません。
 死後の世界のためにエネルギーを費やすのは、古代人にとっては何の不思議もないことです。考え方としては、生きているのは一瞬で、死んだ後のほうがダントツに長いんです。

 我々は死ねば終わりで、あとどうなってかまわない、と思うかも知れませんが、彼らはそうは考えない。というよりも、何万年もの間、人間はそういうふうには思ってきていないのです。人生のメインは生きたあとの後生です。そうでないとピラミッドを作った発想は理解できない。
 だから、中国ではその祖先崇拝の儀式を行うための神主・・・これをシャーマンといって霊を呼ぶ人です・・・そういう技術を持った人たちの力を借りながら祖先の霊を呼びます。
 宗教も一つの技術です。そういう技術を持った人の存在が、もともと儒教の核にあります。


【法家】 その孔子の教えを請いに弟子たちが集まって来ます。この弟子が大きく二つに分かれます。一人は孟子という。彼は人間は善だという。
 しかしもう一つの考え方があって、それが人間はもともと悪だという考え方です。

 徳という考え方があります。これは人徳の徳です。徳そのものが何なのか、これは説明しにくいですけど、人徳という言葉があります。人柄がみたいなものです。
 人間が善だとすれば、人間は修行を積んで努力をすれば、天から与えられた徳を持つことができる。人格を高めることができるんだ。そういう発想です。こう考えた人が孟子です。
  それに対して人間はもともと悪だという発想がある。これは筍子という人です。人間は悪だ。ほっておけば悪いことをする。だから礼儀作法を教えないと、とんでもないやつになる。もともと悪だから。そういう教えです。
  この二つのうち、中国に根付くのは人間は善だという性善説です。これは徳を大事にし、徳治主義の考え方を生みます。

 しかし、中国初の統一国家である秦は、逆に人間は悪だという性悪説を採用します。人間は悪だから、厳しく礼を教えなければならないと。
 これが発展して、秦では法家というのが力をもつ。決まりをつくって、それを守らせる。礼は自発的なものですけれど、これがもっと発展していくと、こうしなければならないという決まりになる。それを国が制定する。それに違反したら厳しく処罰をする。
 これを大成した人物が、秦の家来であった商鞅という人、それともう1人は韓非という人です。
 国を治めるには、礼から発展した礼儀作法をしっかり教えて、その決まりつまり法をきちんと理解させて、それにしたがって人を動かすことだ。この考えをこの後、中国初の統一国家の秦が採用する。
 このように中国という国は性悪説で完成しますが、庶民が求めるロマンは性善説です。その食い違いがずっと残ります。


【秦】  約500年もの間ごたごた戦ったあと、やっと秦が国土を統一することに成功します。紀元前221年のことです。
 秦の王は政さんだった。しかし王になった時に、自分のことをこれからは始皇帝と呼びなさいと言った。これが彼の名前になる。初めて皇帝という言葉を使った。これが秦の始皇帝です。


▼秦・前漢時代の中国



【チャイナ】 中国のことをチャイナというのは、この秦のなまりです。秦はCHINです。日本は戦前まで中国のことをシナといっていた。CHINAです。こっちほうが実際の発音に近いです。
 英語は書かれていない発音をよく入れる。CHINAは文字通りに読めばシナです。英語はなまりだらけです。だから英語流のチャイナはシナのなまりです。秦を英語流に読むとチャイナですが、もともとの発音はシナです。

 秦が潰れた後に、漢が登場します。地図の外側のラインが漢の領域です。漢が一気に西の方の砂漠や異民族の領地まで領土を広げます。
 この時代にも、やっぱり騎馬遊牧民は虎視耽々と中国をねらっています。それが匈奴です。ここには別種の騎馬遊牧民、いろいろ部族があって、鮮卑とかもいる。いろいろな騎馬遊牧民がまだ渾然一体となっています。


【易姓革命】 この法家の思想の一方で、人は善だとする性善説はどうなったか。人間は徳がないといけない。徳は努力して得ることができる。皇帝であればなおさらだ。徳のない人間が皇帝になっても国が治まるわけがない。そんな人間つまり徳のない人間は絶対に王になるべきではないんだ。もっと言うと、そんな人間が王になったら潰していい。殺していい。国を潰していい。

※ 戦国時代には、伝統的血統を誇った一族にかわって、成り上がり者が台頭し、王を称するに至った。追王は、従来血統誇る頂点であった。ところが、彼ら成り上がり者は血統を誇ることができない。このいかんともしがたい弱みを抱えつつ、当時の政権を支える世論を納得させるには、「正統とは何か」について、新たな理論を用意する必要に迫られたのであった。彼らは、自らに王たるの徳が備わっている、ということを示すことで、王としての正統化をはたそうとした。 (世界の歴史 2 中華文明の誕生 尾形勇・平勢隆郎 中央公論社 P28)

 これが中国の革命思想です。易姓革命と言います。姓が易(かわ)って、天命が革(あらた)まる、という意味です。そのときに革命が起こります。こうやって中国は、このあと何度も王朝が崩壊しては、新しい王朝が出現します。
 だから王朝がいくつも分立して、中国がバラバラになっていきます。しかし中国がすごいのは長い動乱のあとには、必ず国が統一されるということです。

 このことは、ヨーロッパとは対照的です。ヨーロッパはローマ帝国の崩壊のあと、それに変わる帝国は登場しません。今に至るまでそうです。逆に今でも小さく分裂していく傾向が見られます。
 ただドイツを中心とするヨーロッパ連合(EU)は、この動きに歯止めをかけて、再度ヨーロッパを統一しようとしているのかも知れません。この試みが成功するかどうかは未知数です。今も揺れています。ドイツに対するアメリカの動きも不透明です。イギリスはEUから離脱しようとしています。

 日本は儒教によってこの易姓革命の考えを知っていましたが、それを受け入れませんでした。それと違って、独自に万世一系の天皇によって国を維持するという方法を選びます。万世一系の天皇と易姓革命は両立しません。
 よく武家政権である鎌倉幕府樹立によって天皇は滅んだと思っている人がいますが、そんなことはありません。天皇家はその間もずっと続いています。天皇家は世界最長の王権です。
 易姓革命を唱えた中国に起こることは、度重なる農民一揆です。農民が王を殺します。コロコロと農民が国を倒していく。


【農民反乱】 中国の農民反乱は半端ではありません。日本の江戸時代の百姓一揆どころではないです。本当に国を潰していく。何回も何回も。中国は激動です。
 徳のない人間は許さない。徳のない人間が王になって権力を振るったら徹底して潰す。それが易姓革命です。
 これは徳のない人間は天の神様も許さないから、と考えるからです。神様は、天命をその人から引き上げてしまうからです。徳がないからです。そういう人間は王であっても潰していい。
 そんな時は別に徳のある人間が、新たに王になっていい。徳さえあれば農民だって王になっていいわけです。そして本当に農民が皇帝になったりする。

 日本で農民から天下人になったのは豊臣秀吉だけです。しかも秀吉は農民反乱によって天下人になったわけではありません。どこまでも天皇の権威のもとで天下人になります。
 中国では王朝も交代は当たり前です。しかしその代償は、大乱が起きて多くの人間が死ぬということです。




【天命】 王の上に天がある。天が与えた徳を身につけるかどうか、そこがポイントです。だから天命を重視しない人間は徳がない。徳がない人間は殺される。権力を持った人間ならなおさらです。
 中国社会はもともと父親方の血筋がきいている社会だから、強い父方の血縁組織があります。そこに天命の思想が発生して、その天が与えた徳を身につけているかどうかが加わります。

 この二つが条件です。血縁と徳です。
 徳とは人柄みたいなもの。徳とは何かを言葉でいうと難しいけど、人徳の徳として、日本語にもなってます。徳がある人というのは、ものすごい褒め言葉です。徳があるという言い方は・・・残念ながら私は言われたことないけれども・・・素晴らしい言い方なんです。
 地位も権力も金で買えたりするけれど、徳だけはお金で買えない。お金で徳を手に入れた人はいません。


【皇帝】 その皇帝も徳があって初めて皇帝になれる。では皇帝という言葉の意味はなにか。皇帝の皇は下が王です。下は王、上は白です。王の上に白く輝くものがある。こういう人でないとダメです。これが徳です。
 では帝はなにか。これは神を祀るときのその儀式の台座です。これがないとうまく儀式ができない。権力だけではダメだ。
 こういうことで従来からの父方の血統を否定することなく、血統の上にさらに天の徳が付け加わる。この二つを持たないと皇帝にはなれない。
 この血統があるから、このあと王様は世襲ルールはオーケーです。世襲とは親から子、子から孫へと王位が受け継がれていくことです。古代の王権はだいたいそうです。日本の江戸時代の将軍様も世襲制です。

 世襲の襲は字が難しいですが、考え方はそんなに難しいことではありません。親が偉くても子どもはぼんくら、孫の代になるとプータロー、そういう人間が王になると国が行き詰まる。
 ここで天が出てくる。天がおまえは首だという。そうすると国が潰れて、徳を備えた新たな王が生まれる。そうやって新たな国ができる。そういうルールが確立していく。
 でも王朝の滅亡は本当は人間がやるんです。そういう人間の合意ができれば国が滅びるということです。


【郡県制】 秦の始皇帝がやったことを見ていきます。中央の力を強くして郡県制というのをやる。郡や県は日本にもある。県というのは中央の支配下にある地方組織です。
 その独立性は非常に低い。この県を治めるのは中央からやってくる役人です。彼らは地元民の言うことは聞かないです。王様の言うことしか聞かない。
 今の日本の県とはちょっと違います。今の日本の県知事は首相の部下が県にやってきているんではない。日本の県知事は県民から選ばれた人です。これは戦後そうなったんであって、戦前の日本では中央の官僚が地方に県知事として来ていました。
 だから今の県と昔の県で派遣のとらえ方が違うんですが、「県」という言葉をそのまま使っています。
 戦前の日本の県と同じように、この時代の中国の県は王が選んだ。俺の言うとうりにやれ、と。


【度量衡】こういう強い力で、始皇帝は度量衡も統一します。度量衡は、長さ、体積、重さ、です。度量衡の統一は、強い政治力がないとできないことです。基準の変更は、最初は庶民は嫌がります。一時混乱しますから。しかし長い目で見ると必要なことです。
 それから以前から行っていた半両銭の統一も、全国的に推し進めます。


【中央集権】 こういうのが中央集権です。中央の力が強いのが中央集権です。この言葉もよく出てくる。中央が強いか、地方が強いか。
 中央集権の反対の言葉はなにか。これも政治用語として覚えておいたほうがいい。中央が強いのは中央集権です。日本は県の独立性が強まったとはいっても、今度は財政面で独立できていないから、今でも中央集権的です。 逆に地方が強いのは地方分権という。アメリカの州というのは、日本よりも強い地方組織です。中央集権を目指すのか、地方分権を目指すのか、というのは今の政治でも大きなテーマです。


【思想統制】 次に、郡県制という強い中央集権体制によって、法家思想の徹底をはかろうとします。
 秦が採用したのは法家思想ですから、中国の始皇帝は法家思想によって全国を統一しようとします。秦は徳が嫌いです。つまり儒教が嫌いです。儒教の書物を焼いて、儒教の学者を埋める。これを焚書坑儒という。

 そういうふうにして、国民に人気があった学問、儒教を無視した。秦がたった20年で滅びたのはこれが原因だと言われる。
 秦は短命です。儒教を無視し、法律で決まりをつくって、あまりに厳しいことを守らせようとした。
 そこには徳がない、徳がなかったら潰れろ、ということで、すぐ農民反乱が起こる。これが紀元前209年の陳勝・呉広の乱です。そして紀元前206年に滅びます。武力では勝てても、思想面では儒教に勝てなかったということです。
 日本では農民反乱は百姓一揆といってすぐに鎮圧されますが、中国では農民反乱が起これば最後、国が滅びます。


【匈奴】 その農民反乱が起こる前に、秦は北方の騎馬遊牧民族である匈奴(きょうど)、これを撃とうとした、追い払おうとしています。匈奴征討を行った。  匈奴のことは前にちょっと言いましたが、200年ごとぐらいにそのグループ名が変わる。共通しているのは、馬に乗った北方の騎馬遊牧民です。
 しかしこれが強すぎてうまく追い払えない。中国の農耕民軍隊よりこっちが強いです。

 最初に馬に乗った男というのは、たいがい荒くれ男か、運動神経がよかった人だろうと思う。馬の後ろ足で蹴られたら内臓破裂で一発です。馬の後ろ足の破壊力は人間の100倍、蹴られただけで内臓破裂です。ヘビー級のボディブローどころじゃない。
 そんな馬の横から馬にまたがってその馬を操って走らせる。そしてこれを民族みんなでやる。すごいことです。
 そしてこれが世界中に広がる。つい100年前の日露戦争のときまで、日本の陸軍は馬に乗れることを将校の条件にしていた。馬に乗れない陸軍将校なんてつい100年前までいなかったんです。

 強い匈奴だから征討はうまくいかない。だから万里の長城というのをここから本格的に作り始めた。それまであった各地の長城をつなぎ始めた。
 今の長城が一瞬でできたわけではありません。このあと何百年もかけて作り続けていくんです。それだけ中国には騎馬遊牧民の脅威が続いた。

 紀元前3世紀にはモンゴル高原などの今のモンゴル共和国には匈奴がいて、それまで分散していた民族を統一した人物が出た。彼を冒頓単干(ぼくとつぜんう)といいます。
 これ本当の発音はなんというかわからない。これも中国がこう呼んだだけで、中国流に漢字を当てただけです。宛て字です。しかも漢字に意味はありません。 これに苦しみます。
 さらに秦は法家思想が強すぎて、おまえには徳がないから潰れろといわれて、すぐに農民反乱が起こった。これが陳勝・呉広の乱です。それであっけなく20年で滅んだ。


【前漢】  しかし秦が初めて中国を統一したということが受け継がれて、次に成立するのが漢です。紀元前202年成立です。これは前に200年、後に200年、途中で一旦滅びるから、二つに分けてここでは前漢といいます。
 ここで使われていた文字が漢字になる。我々が今も使っている漢字です。これが日本に入ってくる。この漢の都が長安です。今はちょっと寂れて西安といいますが、今も大きな都として生き残っている。
 世界史上で、捨てられて死んだ都はいっばいあります。土を掘り起こして、穴を掘らないと出てこない都市は。でもこの長安は名前を変えて生き残っています。

 陳勝・呉広の乱、これは農民反乱です。そこからいろんな人たちが抗争していって、最終的に生き残ったのもやはり農民です。
 それが農民出身の劉邦です。中国人で劉さんというのは、日本の鈴木さんとか田中さんみたいにありふれた名前らしい。普通のそこら辺の農民は劉さんです。名前は邦さんです。
 それと戦ったのが有力軍人であった項羽。劉邦と項羽が戦う。ふつうは有力軍人が勝ちそうだけど、中国は農民が勝つんです。
 そして皇帝になる。これが漢の高祖です。この高祖の悩みの種が匈奴です。この匈奴は強いんです。秦の始皇帝でも勝てなかった匈奴に圧迫され続けます。


【武帝】 この代には無理だったけれども、その後、武帝が紀元前141年に即位すると、これが前漢の武帝ですが、匈奴討伐を何回も行い、匈奴を挟み撃ちにしようと画策する。

 そのための手段が、西の方に別の遊牧民族で大月氏というのがいるんですが、これも大きい月とかそういう意味ないですよ、匈奴の言葉を中国語の漢字に当てただけでもともと何と発音していたのか分からない。
 その大月氏に、部下の張騫を西方に派遣して、挟み撃ちにしようとする。これはうまくいかなかったけれども、それほど大規模な軍隊を率いて、今まで勝てなかった匈奴を追い払う。


【匈奴の西遷】 この匈奴は逃げてどこまで行くか、西へ西へと逃げて、よく分からなくなる。
 しかし数百年後に、ローマ帝国に侵入してこれを滅ぼしている。ヨーロッパに現れたときには、ヨーロッパではフン族になったと言われる。
 名前が違うじゃないかと思うかも知れませんが、この当時ヨーロッパ人と中国人はお互い全然知らないから、もともと何なのかはお互いに分からない。今2000年経ってこれを歴史的に見ると、東の匈奴と西のフン族は同じ民族じゃないかといわれています。
 ヨーロッパではフン族となって、ローマ帝国に侵入していく。または東から来た匈奴に追い出されてローマ帝国に侵入したのがフン族だったのではないか、と言われています。
 何千キロも100年間で移動していく。遊牧民は移動民族だから移動は速い。速いと言っても、100年間で1000キロぐらい行きます。
 200年前に、こんなに東にいたのが、いま何でこんな西にいるのか、自分の代、親父の代、爺さんの代の3代かければ、1000キロぐらい簡単に移動していきます。

 このようにして国は移動する。彼ら遊牧民の考え方は、国は土地ではないのです。人の移動したところが国になる。土地はどこでもいい、オレたちがいるところがオレたちの国だという考え方です。
 フン族は誰でもいいのですが、遊牧民が西から押し出されて東に移動したということが大事です。
 こういう遊牧民の西への移動は、このあとトルコ人の移動に見るように、歴史を貫く一本の柱として続きます。


【大土地所有制限】紀元前7年、哀帝は大土地所有の制限を目指して限田法を制定します。これは大土地所有者の反対が強くて実施されませんが、古代の中国で、大土地所有をどうするが、そのことの裏側にある小農民の保護をどうするかということは、このあとも一貫して現れてくる課題です。小農が本気で腹を立てると国が滅んでしまうからです。
  にもかかわらず大土地所有は進みます。お金はお金のあるところに集まります。それと同じように土地も土地を持つ者のところに集まります。これは中国独自の現象というよりも、資本の論理です。
 
 しかし中国はこれを食い止めようとしていきます。ほおって置くと貧富の差が拡大するばかりで、多くの農民が潰れていくからです。
 だから大土地所有を制限し、農民の土地を保護するばかりか、農民の国家自ら土地を分配しようとしてきました。

 それがのちの西晋の占田・課田法であり、北魏の均田制です。その均田制は隋・唐の時代に完成されて、日本にも取り入れられ、奈良時代の班田収授法となります。 日本では山上憶良の貧窮問答歌により、奈良時代の農民の貧困にあえぐ姿が強調されますが、もともとこれは大土地所有制度を防ぎ、農民の生活を保護するためのものだったのです。
 そしてそれはヨーロッパのような奴隷社会ではなく、家族が成立しその家族のもとに農業経営を行う小規模な自作農が、社会の基礎になっている社会だからこそ、目指されたものなのです。


【新】  約200年経って漢は途中一旦潰れます。そこで新しい国です。たった十数年ですけど。これが新です。紀元8年の建国です。
 始皇帝の秦と発音は一緒ですけど、漢字が違う。別の国です。シンという国は、このあとも漢字を変えただけで、同じ発音の国がよく出てきます。
 中国人はシンという国名にこだわりがあるのでしょう。建国者は王葬という人。


【外戚】 ポジションは、漢の外戚です。王葬という名前よりも、この外戚という言葉が大事です。皇帝の嫁さんを皇后といいますが、この皇后の親戚が力を持つんです。これが外戚です。
 なぜか。中国の女性は結婚しても姓を変えないことはすでに言いました。ということは、嫁ぎ先よりも、生まれた育った実家の方との縁がずっと強い。
 そうすると嫁さんの実家グループが、お嫁さんの親戚という立場で、旦那の王様一族を乗っ取っていく。外戚一族が国を乗っ取っていく。夫婦別姓とはこういうことです。

 男のAさんと、女のBさんが結婚して、男3人子供が生まれたら、子供はみんなAさん、Aさん、Aさんです。嫁さんだけがBさんでA一族には入れない。姓は別だからです。結婚しても自分の子どもとグループが違う。
 政治争いになると、子供を殺す母親が出てくる。我が子が王になると、B一族の力で我が子を殺す母親が出てくる。夫婦別姓というのはこんな社会です。息子と母親は別の一族だからです。

 でも最近の日本では人気があるんです。特に女性に人気なんです。私はこれがよくわからない。知っているのかな、中国の夫婦別姓がどういう家族を生んでいくのか、夫婦が別の姓を名乗るというのはどういうことなのか、本当に知っているのかな。
 夫婦別姓にしても家族は今までどおり融合する、そんなに都合のいい家族形態があるんだろうか。一族が違う、権利も違う、財産相続もできない、そこには父と母の、そして母と子の厳しい利害の対立が生まれます。
 新の建国がちょうど紀元前後ごろです。この時代にインドから伝わった宗教が仏教です。中国からさらに日本に伝わるのは、このまた500年ぐらい後です。
 この新もまた、18年に起こった赤眉の乱という農民反乱で滅びます。その5年後の23年のことです。
これで終わります。ではまた。

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「授業でいえない世界史」2 2話 古代中国 殷~春秋戦国

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【中国】  まず中国からいきます。どこから行くかは、エジプトから行ってもいいし、メソポタミアから行ってもいい。決まりはありません。


【都市国家】 中国も、九州の吉野ヶ里遺跡と同じような都市国家から生まれてきます。ただ中国には漢字があって、都市国家と4文字で書かずに一文字で書きます。それを邑といいます。日本ではほとんど書かない字です。都市国家のことです。

 吉野ヶ里遺跡と同じように回りに堀を巡らしたり、城壁を作ったりする。日本のお城もそうです。周りにはお堀があり、城壁がある。それで敵から守るんです。それがだんだんと領地を広げて領域国家になる。
 ギリシアのように、そうならない場合もあります。ギリシアは都市国家のままで広がらない。しかし中国は広げていきます。この違いがなぜなのか、まだ明確には分かりません。しかしこの違いは大事なことです。


【殷】  まず最初の国家についてです。その領域を図で確認してください。今の中国は北はモンゴル高原の南まで、西はテンシャン山脈まで、全部、中国ですけれども、最初の国家はもっと小さいです。
 これを殷という。紀元前1600年ぐらいにできる。
 それを滅ぼして、新しい国家にしていくのが・・・今度はもうちょっと広がって・・・これが周という。殷と周という国ができる。このことを見ていきます。
 中国は広くて目印がないから、山とか湖とか川とかは頭に入れておかないと、場所がどこだったかわからなくなります。

▼殷と周の勢力範囲



 最初の国は殷です。紀元前1600年頃から紀元前1050年頃まで。これももともとは都市国家です。といっても村の大きなものです。これを中国では邑といいます。
 ギリシャは都市国家同士がずっと戦争していくんですが、中国はこの中で有力な都市国家が互いに連合して、手を握ることに成功していきます。「オレの子分になってくれれば、あとは任せるよ」という感じです。
 連合した邑はそのまま生き残っていきます。王も生き残ります。王が拝んでいた神様も生き残ります。連合した新しい国家の王は、他の地方の神様を拝むことを禁止しませんから、国内にいくつもの神様が生き残っていきます。だから多神教です。

※ 神話を合理化する際に、例えば日本では、日本書紀のように、大和朝廷による統一を正当化するために、異部族の神々を、血統的な関係に組み入れている。
 これに対して中国では、各部族の祖神を、古代統一帝国の帝王の臣下の関係に組み入れているのである。(世界の歴史3 中国のあけぼの 貝塚茂樹 河出書房新社 P45)

※ 原始社会にあっては闘争が絶えず繰り返され、また武力的な統一によって、国が形成せられてきたことを説いているが、私はそれのみで国家が統一されていったとは思わない。むしろ戦争によらずして社会の拡大が見られていった場合も多いかと思う。(開拓の歴史 宮本常一 未来社 P80)

※ 大和朝廷の国家統一には今一つの変わった方法が採られている。「古事記」や「日本書紀」の記すところによると、天皇や皇子はしばしば地方を巡幸し、その間に地方豪族の娘と婚を通じている。 「日本書紀」の記事は崇神天皇のころから史実に近いとみられているが、皇后および妃の出身が地方豪族の家である場合が多いのは注目に値する。かくて一種の婚姻政策によって国家の主権が確立していっていることの中にも、稲作を中心にした農業国家のあり方を見ることができる。(開拓の歴史 宮本常一 未来社 P82)

 ここがヨーロッパと違うところです。ヨーロッパの都市国家は連合するのではなく征服していきます。そして負けた王を殺します。人々は奴隷にされます。それとともに彼らが拝んでいた神様も滅びます。だから一神教になります。

 殷は最初はその連合体です。仲間になろうと言ってグループ作りに成功し、友達になった。その邑のグループが国といえば国なんです。それが殷です。
 その王様はそのリーダーで、そのリーダーはもともと邑の支配者のままで、そして村連合のリーダーとなります。緩やかな連合の王かなという感じです。
 後期の都として殷墟がありますが、首都は王が替わるごとに移動していたようです。ヨーロッパ中世もそうで、神聖ローマ皇帝の戴冠を受けた10世紀のオットー大帝もその宮廷はいつも移動しています。こういうのを移動宮廷といいます。それに比べたら、中国は次の周の時代には固定した首都を定めます。王様はそこから動きません。これは安定した統治組織がないとできないことです。


【神権政治】 王になってグループをまとめていくときに、この時代には、神様と繋がりがあるのは当たり前です。神様と繋がって何がおもしろいか、くだらない、と言ってしまうと古代史はわからないです。
 日本でも、江戸時代まで政治のことを「まつりごと」と言っていたぐらいです。これを神権政治といいます。自分は神様に近づく能力がある、そういうことを王はアピールしていく。

 そしてその宗教的権威によって、自分の言葉で従わせる場合もあるし、俺は神のお告げを聞いたと言って納得させる場合もある。その納得させるやり方が、いろんな占いです。だから占いの技術が発達します。
 当たる時もあれば、当たらない時もある訳ですが、当たらないときは王は責任を取らされて殺されたりする。危険な仕事です。
 そういう危機感の中で、頭のいい王は占いに見せかけて、自分の考えを神のお告げに託して言ったりするわけです。

 その証拠として甲骨文字があります。この時代には紙がありません。文字があるけど紙がないから、それを何に書くかというと、動物の骨、それから亀の甲羅などです。そういうものに刃先のとがったようなものでこすりつけて、文字を刻んでいく。
 この当時は絵みたいな変な文字ですけども、これが我々が使う文字のルーツ、つまり漢字になっていく。これを甲骨文字といいます。亀の甲羅や動物の骨に書かれた文字のことです。これが漢字のもとです。
 なぜ記録を残すのか。証拠を残しておくためです。もし占いどおりの結果が出なかったら、王も責任を問われます。雨乞いをしたのに雨が降らなかったら、王は責任を問われます。交代させられるだけでは済まなかったかも知れません。だから王も必死です。


【周】  こういう政治が約500~600年続いた後に、西の方から、どうもこれは農耕民ではなくてパカパカ馬に乗るような、牛を追うような、羊を追うような人たちがやってくる。
 中国は農耕社会だけではなく、真ん中は農耕社会ですけど、その北方にモンゴルがあるように、その周辺は農耕地帯じゃない。水が足らずに乾いています。そこにいるのは遊牧民です。その遊牧民がどうも殷を乗っ取ったようです。

 そして新しい国を立てた。紀元前1050年頃です。これが周です。首都は鎬京という。前に言ったようにここで移動宮廷の段階を早くも脱しているわけです。でも中国の都は国が変わるごとに名前を変えます。800年後の漢の時代には長安になります。これと同じ都市です。
 今どうなってるかというと、西安という都市になっています。今の沿岸部が発達している中国から見ると、かなり西の方です。
 黄河が流れている。分流の渭水がある。そのほとりです。黄河を目印にとらえてください。
 江戸も政権が変われば東京に名前が変わる、それといっしょです。
 ここもやはり邑の連合体をつくる。これが喧嘩しないで、手を組んでグループになる。大きな村連合だと思ってください。


【封建制】 最初は、それぞれの邑は自分の土地を支配する。村連合のリーダーである王もそのことを認めます。ここでも「オレの子分になってくれれば、あとは任せると」という感じです。
 しかしそれがだんだんと、土地によって結びついた国家連合、つまり封建制に変わります。封筒の封ですけれど、左側は土ふたつです。意味は土地なんです。
 この封建制度というのは、農業社会は土地がまず第一の社会です。封建制度という言葉は日本にもでてくるし、ヨーロッパにもでてきます。
 しかしそれが同じかというと中国の封建制は特徴があって、とにかく血縁が強い。特に父方の。母方はそうでもない。父方の血縁が強い。


【血縁】 今の中国人は海外への移民が多いです。宋さんという中国人がアメリカのニューヨークに出稼ぎに行って、そこで皿洗いに雇われたとします。
 そしたらそこの店長がたまたま中国人で、名前を聞いたら同じ宋さんで、地域も同じ一族というのがわかったとしたら、その瞬間に今まで会ったこともなかった二人が突然、家族づきあいをしだす。俺たちは一族なんだ、他人じゃないんだ、そういう繋がりがある。それを宗族といいます。
 こういうつながりが今でも非常に強い。だから宗族の中から1人偉い政府の高官とか大臣がでたら、見たこともないような親戚が集まって、仕事ちょうだいと頼みに来る。そういうマイナスの面もでてくる。
 それでも断れない。それが社会の基盤になっているからです。血のつながりがあるから、一族をまず大事にする。
 裏を返せば、一族の誰かが死んだら祀る。父親が死んだらそれを祀って、息子が丁寧に墓参りをして、祖先祭祀を行う。そういう宗教性があります。
 ただメソポタミアのような高くて大きなの神殿のようなものは発生しない。代わりに、宗廟というご先祖のお墓のようなものが発達する。

 この宗族は、目にはなかなか見えないけれども、今も中国の社会の基礎を成しています。
 ここで大事なのは、一族のご先祖様を祭る儀式は・・・これは女はできないです・・・男しかできないという決まりがある。これは日本の相撲界で、土俵には男しか上がれないのと似た感覚です。
 ご先祖様を祀るのは、男しか祀れないという考え方は定着しているし、長男が相続して、祖先の祭祀、日本でいえば供養を行う。これは日本の比じゃない。大々的に何百人も呼んでやる。


【夫婦別姓】 こういう一族の価値の繋がりの濃さがあるから、中国人の姓は不変です。
 男はあまり意識しないかも知れないけれども、多くの場合、日本では女性のAさんが男性のBさんと結婚したら、AさんはBに姓が変わる。でも中国人は変わらない。  A姓で生まれた女性は、Bさんと結婚しようが誰と結婚しようが、一生死ぬまでAのままです。これが夫婦別姓です。そして、死ぬまで、生まれたA一族の一員である権利を保有します。

 少し前、日本で夫婦別姓を認めよう、という話がありました。でも日本の場合、女性のAさんは結婚してBさんになれば、自分の身分もBさん一族になれるんです。
 夫婦別姓の場合、結婚した女性が姓をAのままで変えないということは、Bさんと結婚しても所属する一族はもとのままで、Aさん一族の集会があったときも、Bを名乗っているお嫁さんはA一族ではないから、A一族の会議には入れてもらえないのです。
 つまりよそ者扱いなんです。何の権利もありません。
 その代わり実家のA一族に対しては様々な権利を引き続き持っている。だから夫婦別姓なんです。それはそれで理屈は通っている。夫婦別姓とはそういう社会制度なのです。

 結婚しても姓を変えず夫婦別姓のままでありながら、結婚したら今までのように、結婚相手の男性一族の権利を全部もらう、そんなことが通るのかどうか。
 中国はそんな都合の良い社会ではありません。夫婦別姓の裏には、どこまでも生まれ育った一族に対する権利があります。強い血縁意識があります。
 相続にしても、Aさんと結婚してたからと言って、A一族の財産もらえません。結婚相手は一族にとっては外部から来た部外者でのけ者なのです。
 夫婦別姓は、そういう社会制度から作りかえなければならないことなのです。日本人が本当にそのことを望んでいるのならいいのですが、私にはそうは思えません。
 そこは一族の団結が固い代わりに、他の一族の者がその中に入ることを許さない社会なのです。

 日本の夫婦別姓は、血縁よりも個人を重視する考え方です。しかし本来の中国の夫婦別姓は、個人よりも血縁を重視する考えです。そのことを理解していない人が日本人には多いのです。
 そういう夫婦別姓から日本にはない、いろんな問題が起こります。政治に対してもです。


【宗族】 周はこの血縁組織つまり宗族と合体して、地方の土地の支配者は、血縁者つまりこの宗族の中から任命します。一族の者が一番信用できるからです。
 だから血縁者を諸侯にする。諸侯とは日本の大名みたいなものです。例えば、私が王であれば、私の弟を県知事に任命する。そして任命した以上はその領地の支配は弟に任せる。
 ただ一つ、私が敵から攻められた時には、弟は軍隊率いて応援しなければならない。これが条件です。軍隊を引いてくる義務と、土地からの富をもらえる権利とが、交換条件になっています。これが周の時代の封建制です。

 しかしこれは私と弟の関係であれば、非常に信頼関係が強い結びつきなんですけれど、欠点が1つあります。
 私が死んで弟も死んで、その息子たちの代に変わっていくと結びつきが弱くなる。そしてまた30年経って孫の代になっていくと、孫同士は顔もみたこともない遠い親戚になっていく。誰だあれ、知るものか、そういうふうに信頼関係がなくなっていく。
 それを防ぐために壮大な祖先祭祀を行うわけですが、それにも限界があります。だから時間が経つと国が崩壊する。それで国が長くもたない。そういう欠点があります。

 中国では昔も今も、結婚しても姓を変えない夫婦別姓です。このように中国では父方、つまり男の血統が強い社会です。
 これは論理上は女方の系列で行ってもいいわけですが・・・実際にそういう女系社会も世の中にはまれにありますが・・・中国は男系なんです。

 日本も男が強い社会だと言われます。しかし日本は養子もできるし、男系・女系が混合している面もあります。しかし中国では男系の血縁関係が非常に重視されて、この考え方が中国独自の宗教にもなります。

 中国で生まれた宗教は仏教ではありません。儒教です。儒教についてはあとでいいます。儒教は血縁関係を非常に大事します。
 そういう血縁の強い社会組織だから、それに基づいた宗教が生まれるんです。両者は繋がってるんです。開祖の孔子が勝手に考えたんじゃない。その背景があるんだということです。


【東周】  その周は、200~300年で、一旦、西からの敵に攻撃されます。攻撃したのは犬戎といいます。名前だけわかっている民族です。
 もっともこれも中国人が勝手に名づけた名前で、漢民族ではない。中国語を話す民族ではない。

 それで攻撃された周は東に引っ越した。国は小さくなって東にずれる。東にずれたからこれを東周という。前770年、都を洛邑に移します。ここはあとで洛陽という名前に変わります。


【混血】 東周の時代は約500年ぐらい続きます。入ってきた犬戎はその後、どうなったか分かりません。
 多分中国人のほうが人口が多いから、その中に混血していって子孫は中国人として生きていったのでしょう。彼らが中国を支配したわけではありません。


【春秋時代】  そのあと約300年間を春秋時代といいます。東周が成立した紀元前770年から紀元前403年までです。この時代は周王は滅びはしないけれども、家来たちがだんだん強くなってくる。最終的に五人が強くなるから、春秋の五覇という。全国制覇の覇です。
 春秋の五覇という五つの国、五つの家来たちの国が強くなる。五つの国というのは、斉・秦・楚・呉・越という国です。それでも王の家来という考えは捨てなかった。

 この時代に鉄製農具が使われ出し、農地の深耕が可能になります。それによって農業生産力が高まります。それを支えるのが村々の小農です。小農というのは小規模な自作農のことです。自立できる農民が生まれたのです。しっかりした家族制度ができて、しっかりした農業ができるようになります。農業は技術です。そういう技術を持った家族というのは、家族のレベルの高さを感じます。
 決して大土地所有制度が中国の農業生産力の向上を生んだのではありません。この点は古代のヨーロッパとは違います。

 中国の家族制度の裏には強い父系血縁で結びついた宗族があります。ここで中国はそのような血縁組織を背景に、小農を基礎とする社会が成立したのです。 彼らを怒らせると国が潰れます。中国で国が潰れるとき何が起こるか。決まって農民反乱が起こります。これが何回も起こります。


【戦国時代】  しかし次、戦国時代です。名前からして物々しい。この時代になると、王とか知ったことかという感じです。力で争う時代になる。これを戦国の七雄という。紀元前403年から200年ぐらい、紀元前221年までです。

 国の名前は1文字で書く慣例がある。そのなかではじめて中国を統一していくのは、一番西のはずれにあった秦です。一番弱小だったんですけどね。




【天命】 戦国時代にはどういった政治の考え方があったか。王となるには、天が認めたという形を取ります。人から嫌われ、なんだあいつ、ヤクザみたいだ、そんな人はなれない。人間的に立派でないと天は認めない。
 日本にもこの考え方があって、お天道様というのはこの天命に近い。「天道様が見てるぞ」とか言うでしょう。
 その天命を受けたものが天子なんです。力にまかせて、金の力だけで成り上がりであっても王ではない。単なる成り上がりだという考え方です。

※ 戦国時代には、伝統的血統を誇った一族にかわって、成り上がり者が台頭し、王を称するに至った。追王は、従来血統誇る頂点であった。ところが、彼ら成り上がり者は血統を誇ることができない。このいかんともしがたい弱みを抱えつつ、当時の政権を支える世論を納得させるには、「正統とは何か」について、新たな理論を用意する必要に迫られたのであった。
 彼らは、自らに王たるの徳が備わっている、ということを示すことで、王としての正統化をはたそうとした。 (世界の歴史 2 中華文明の誕生 尾形勇・平勢隆郎 中央公論社 P28)

 王になるためには、権力プラス徳が必要です。徳という考えかたが出てきます。人徳とか聞いたことないかな。徳のある人だとか、あの人は人徳があるとか言われるのは、ものすごい褒め言葉です。
 それが備わって初めて天命を受けたということが認められていく社会になっていきます。
これで終わります。ではまた。

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「授業でいえない世界史」2 1話 人類の誕生

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【人類の出現】
【直立歩行】 700万年前、猿が直立歩行をし始めました。
  それまでは木の上に住んでいた猿がなぜ、地上に降りてきて直立したのか。木が枯れて森がなくなったから、仕方なく地上に降りたとも言われます。でもよく分かりません。しかしなぜ直立したのでしょうか。そのまま四つん這いで歩いてもよかったはずなのに。

 きっと外敵に襲われるのが怖かったのでしょう。だから四つん這いで歩くよりも、敵がいないかどうか確かめるために直立せざるをえなかった。直立した方が、遠くの敵がよく見えますからね。
 我々の直立姿勢はそういう不安の表れなのです。どこに敵が隠れているか、怖くて怖くて仕方がない。だから遠くの敵を素早く見つけるために、立たざるをえなかったのです。そうした方が生存する確率が高くなって、直立した猿たちの子孫だけが生き延びることができたのです。

 我々人間は弱いものです。足も遅いし、ライオンと比べたらキバもない。大した取り柄もなかったはずなのです。だからどうやったら敵に襲われないか、そればかり考えて逃げ延びてきた。それが直立姿勢なのです。


【脳の発達】 でも直立というのは、鉛筆の芯を横にすればすぐ折れますが、まっすぐ立てれば折れないし、どうかすると指を貫きます。そのくらい強いものです。
 直立の重みの負担と、動物のように頭を横から支えているのでは、頭の重みの負担が全然違います。だからいくらでも頭は大きくなっていく。それが頭の脳味噌の発達、知能の発達をもたらします。


【手】 同時に手が発生しました。前足が手になりました。前足がものをつくるための手になります。動くためではありません。それで道具の使用ができます。
 指の動き、ロボット工学でも人間のような複雑な指は作れません。ミカンの皮をむける指のロボットはまだできません。リンゴの皮をナイフでむくのはもっと複雑です。それほど複雑な動きを、我々の指はほとんど自覚なしにやっています。そういう知能ができます。


【猿人】 最初の人類は猿の人と書いて、猿人といいます。人類の進化は、アフリカのオラウ一タンがアフリカ人になり、ニホンザルが日本人になったと考えると、訳がわからなくなります。
 オランウータンとニホンザルは別種で、かけ合わせても子供できません。犬と猫がかけ合わせても、子どもが生まれないように。アランウータンとニホンザルという別種から進化したアフリカ人と日本人が同種になり、子供ができるということは理屈上ありえません。


【一地点発生】 ということは、アフリカ人と日本人はご先祖が一緒であって、同じ種から発生したということになります。どこかの1地点で発生したのです。
 どこから発生したのか。日本ではありません。ヨーロッパでもありません。アフリカです。アフリカで人類が発生しました。すべての動植物には原産地があります。人間もそうです。人間はアフリカで発生しました。

 人間が発生して、我々はホモ・サピエンスという動物学上の分類にはいります。小学生に聞いたら、人間は動物じゃないと思ってる人がたまにいるみたいですけど、我々は紛れもなく動物です。ホモ・サピエンスという種です。
 人間というのは何種類かいたらしいです。700万年の間には。そのたびに滅んだんです。最終的に我々1種類が生き残っています。

 ということは、二度あることは三度ある。我々もいつ滅びるか分かりません。我々の先輩の人類がたどった後を見ると、そういうことも考えられます。


【原人】 次が150万年前の原人です。原人になると、アフリカを脱出するようになります。アフリカのどこから脱出するか。いまのスエズ運河のある地峡帯だと言われますけれども、異説としてはもっと南、紅海が最も狭まっているところからだとも言われます。
 前者であれば脱出するときは、道幅の狭いところを通ります。難題はここに行くには世界最大のサハラ砂漠を渡らなければならないということです。ここは人間は越えられません。


【出アフリカ】 砂漠に迷ったら人間は死にます。どうやって砂漠を越えたか。そしてアフリカを脱出してどこまで行ったか。 ジャワ原人は少なくともジャワ島まで行きました。北京原人は北京あたりまで行きました。
 でも猿人も原人も絶滅します。絶滅したということは我々の祖先ではないということです。

 我々新人はというと、また振り出しに戻って、同じようにアフリカから発生しました。そして、アフリカを脱出し、ユーラシア大陸を移動し、北のベーリング海峡を渡って、北アメリカへ行き、それから南アメリカまで達しました。つまり全世界に広がったのです。


【旧人】 それ以前の人類は残念ながら死にました。我々に一番近い人は、ネアンデルタール人といいますが、ネアンデルタール人はヨーロッパまで行って絶滅しました。そのネアンデルタール人の存在は20万年前です。彼らは旧人といいます。我々は新人といいます。

 この四段階、猿人、原人、旧人、新人。化石が見つかっていないだけで、この他にもいたかも知れないけど、われわれ新人以外はすべて絶滅したといわれます。


【言語】 まず原人段階になると、火の使用が始まります。 言葉もこの原人段階からあります。この言葉の複雑さというのも、ノドの声帯を微妙に何百通りにも変化させていくことによって生まれます。そして我々はその複雑な発音を聞き取ることができます。
 外国人の言葉を聞いても、例えば英語を日本人が分からないのを見ても、この聞き取りの難しさを感じます。我々は生まれてながらに日本語に慣れ親しんで、それをほぼ完壁に身につけていますが、いったん我々の言葉ではない英語にふれると、なかなかわからない。
 英語の勉強で悩んでいる人は多いのです。それくらい複雑なことです。そういう難しい言語を判別できる能力が自然に備わっているということは大変な能力です。


【火の使用】 もう一つは火です。動物は火を使わないどころか火を見ると逃げていきます。オオカミがいるようなところで野宿するとき、野宿の方法として最低限しなければならないことは何か。
 必ず火を焚かなければいけません。火を見てオオカミは逃げますから。火を焚かずに寝ると、我々はオオカミの餌食になって、食いちぎられてボロボロにされます。一昼夜で骨と皮だけになる。しかし火を焚いておくとオオカミは恐がって逃げていく。

 しかし人間は子供の頃から「子供の火遊び」で、楽しそうに火で遊びます。だからときどき火事が起こる。しかしこんなことは絶体動物にはおこりません。おまけに人間は自分で火をおこしたりする。 これによって煮炊きができるようになります。生で食えないものでも、火を通せば食えるようになります。
 これによって、食料として食えるものの範囲が飛躍的に広がったのです。魚を生で食うには、刺身のようにしてその日しか食べられませんが、火があれば2~3日後でも煮たり焼いたりして食べられます。こうやって、か弱かった人間の生存能力は高まります。


【死者の埋葬】 それからもう一つ、旧人、つまりネアンデルタール人になると、死者を埋葬するようになります。死んだ人間をなぜ手厚く葬るのか。
 ここで多分、彼らは目に見えないものを頭の中で見ている。この世で自分が生きていることはみんな知っています。しかし人間はもうあの世を考えている。すでに子供のころから。自然に。

 人の死を見て、どこにいくんだろうか、と思う。あの世があるのかどうか、それを証明した人は1人もいませんが、しかしほとんどの人間はそれを想定している。  
 そうでないと葬式などできません。ホントに無宗教な人間は人が死んだって葬式なんかしないのです。葬式をすること自体、死後の世界を想定しています。これは宗教の発生です。


【見えないもの】 目に見えないもの、誰も見たことがないもの、死を想定すること、さらに死後の世界を想定すること、これが役に立つのか立たないのかわからないけれども、人間というのはずっとそうしてきました。

 宗教を信じない人、自分で信じないと言う人はいますけれども、人の死を見て悲しまない人はいません。そして葬式をやっていく。墓をつくって祀っていく。

 これは宗教の発生です。日本人は自分が宗教的であることを、あまり自覚していませんが、信じていないわけではないです。日本にも宗教は根づいています。このことを勘違いすると大変なことになります。

 宗教を信じないという人はいますけど、宗教のない社会はありません。人間がいるところ、必ず宗教があります。


【新人】 次に新人、クロマニョン人ですけれど、この時代になるとアメリカ大陸でまで広がります。世界に1種類の人間が満遍なく分布する。こんな動物は他にありません。ニホンザルはヨーロッパにいませんし、オランウータンは日本にいません。ライオンだって、キリンだって生息地は限られています。世界中に生息している哺乳類って、ほかにいますか。

 そういう動物はそのものすごい進化をしている。いろんな環境に適応しなければならないから。1種類の人間が全世界にいるというのは動物界では異常なことです。
 普通は、動物種には原産地というのがあって、一定の環境の狭い地域でしか生息できないです。その条件に合った場所でしか暮らせません。

 アフリカから発生したのが人間です。なぜ氷に閉ざされた北極にイヌイットといわれる人たちが住んでいるのか。オーストラリア大陸というアフリカという全然別の大陸に、アボリジニーという人が住んでいるのか。そういう原産地とは異なった地域に人間が適応できたのはなぜなのか。そういう意味ではかなり大変なことが起こっていたんです。


【認識する力】 もう一つ、我々は新人ですけれども、20万年前のネアンデルタール人と比べると、さぞかし今の人間がネアンデルタール人よりも、頭の脳味噌は大きかっただろうと思いがちですけど、違うんです。
  ネアンデルタール人と我々は、脳味噌の重さ自体は変わりません。ではネアンデルタール人がなぜ滅んで、なぜ我々新人は世界的に分布するほど繁栄しているのか。

 これは脳の容量じゃなくて構造なんです。脳の構造が変わってる。どう変わったのかというのは、まだ半年以上は謎ですが、ネアンデルタール人はどうも目に見えるものだけで生きていたようなんです。
 しかし我々は目に見えないものを見ているんです。宗教というのはその最たるものです。宗教的想像力が一体何を生み出していくか、ということはものすごく大きな問題です。


【似たもの】 我々はいろんな似たものを集めて、これとこれは同じとか、これとこれは違うとか、まとめる力や総合する力、さらにそれを統一する力を持っています。
 こういったことと、ああいったことがあって、それを経験していくにつれて、この経験をもとに別の結論を導いたりする。

 人間は若いときこそ価値があるという若者文化もいいですけれども、ふつう人間は経験を重ねるに従って賢くなる。過去のことを覚えていて、その経験をもとに新たな結論を導いていく。これは総合する力なんです。この総合する力というのは、別の言い方をすれば抽象力です。

 ネアンデルタール人は目に見えるものだけです。具体的なモノに対する対応力だけです。ネズミがいると、それをどうやって捕まえるか。われわれ人間はその能力よりも、まとめる抽象力に長けています。
 これがあるとまずだまされなくなります。世の中には非常に似たものがありますけれども、一見似ているけれども違うもの、つまり偽物だというものもある。逆に一見非常に違うように見えるけれども、実は同じだというものもある。

 例えば「山」というのがあって、これをこういうふうに「山」(草書体)と書く人がいる。経験すれば、これはおんなじものを表現していることが、日本の高校生ぐらいだとわかる。しかし、それが同じものか違うものかというのは、文字を知らない人間には分からない。違うと言えば違う。しかし似ているといえば似てる。

 では逆に、ひらがなの「り」と、カタカナの「ソ」。これも似てるといえば似てる。でも我々はこれを読み分けられる。このひらがなの「り」と、カタカナの「ソ」の判別。機械の能力ではものすごく微妙なプログラムを組まないと分かりません。
 人間は無意識のうちに、これは同じ、これは違う、と見分けている。そういう能力があって、文字を書けるし、読める。違っても同じ、似ていても違う、そを識別する能力を持っています。

 これは悪い例ですけど、詐欺師はこういう能力に長けていて、違うんだけど、似たものを同じに見せかけて人をだましたりする。しかしまともな人間は、それを嘘だと見抜く能力をもっている。これはどうもおかしいぞ、と疑う能力、これがわれわれの脳味噌です。
 旧人はネアンデルタール人です。我々はホモサピエンスです。その一種がクロマニョン人です。この二つの人間は脳の容量は1500ccと変わらない。でも構造が違う。

 この違いは多分、前頭葉だと言われています。総合する力というのは前頭葉あたりにある。脳の容量は20万年前から1500ccで変わらないけど、どこか構造が変化している。


【共存】 しかもこういうネアンデルタール人とクロマニョン人が一時期、共存していたということが分かってきました。クロマニョン人がヨーロッパに行ったら、自分たちと違うネアンデルタール人がいたという時期がある。互いにどういうリアクションしたんでしょうか。互いに同種として扱うんだろうか。別種として扱うんだろうか。

 長いこと別種だから関係なかったと言われてきましたが、DNAの解析が進んで、3年前に我々ホモサピエンスの遺伝子の中には、実はネアンデルタール人の遺伝子が少数ながら混じっている、と発表されました。これどういうことなんでしょう。
 早い話が交配してた、ということです。クロマニョン人は、それが男か女か分からないけど、たぶん女でしょうけど、我々の祖先はネアンデルタール人と交配していたんです。だからネアンデルタール人の遺伝子が我々にも残っている。ちょっとミステリアスな展開なのです。

 そのネアンデルタール人は、さっき言ったように死者に花を手向けて埋葬していた。何でこんなことが分かるのか。考古学者も土を掘り起こしているだけじゃない。何を採取したか。ネアンデルタール人の骨が見つかった。
 次にした事は、回りの土を採集したんです。その中から自然界の数百倍の、何が発見されたんでしょう。花粉の化石です。ネアンデルタール人の骨の周辺の土から、自然界の何百倍もの花粉の化石が発見された。顕微鏡で調べたんですね。

 ということは、そのネアンデルタール人はお花畑の中で死んだと考えてることもできるけど、普通の類推としては、死ぬときには目立たないように普通の草むらのなかで死ぬだろうから、そこに死んだあとに、生き残った人が花を持って来て手向けたと考えないといけない。そういうことをしないと、自然界の何百倍もの花粉が出てくるようなことは起こらないのです。

 しかしこうなると彼らは今の人間とほとんど変わらない感情を持っていたことになります。一週間前に私の知り合いに不幸があって、葬儀に参列しました。そして死に化粧の顔の横に花を手向けてきました。こういうことを我々は20万前からやってきたんです。

 一時、我々はネアンデルタール人と共存した時期があります。その遺伝子も入っている。その新人もアフリカで出現し、他の人類が繰り返し何百万前からやったように「出アフリカ」を行なった。しかしアフリカを出て全世界にまで広まることができたのは我々だけです。ホモ・サピエンスだけです。


【食料生産の開始】  そういう時代が約700万年続きました。文化が変わるのは699万年後です。もうアッという間に699万年過ぎました。

 1万年前に来ました。1万年前に何が起こったか。氷河時代が終わって、地球が温暖化していったんです。 その間、新人はアフリカを脱出して、ユーラシア大陸に渡り、そこから北上してシベリアに至ります。当時は氷河期で海面が沈下して陸地が広がっていましたから、今のベーリング海峡はアラスカと陸続きでした。
 その陸橋を渡って北米大陸に渡ります。それからまた南下し中米にいたり、赤道を越えて南アメリカ大陸の南端にまで到達します。それが今から約1万年前です。

 ここで我々はオーストラリアも含めて全世界に分布したことになります。世界中どこに行っても新人がいるわけです。いわば地球が新人によって満杯になったのです。

 それと同時に新たなルールが発生します。新人が全世界に広がると同時に、気候の温暖化も手伝って農耕・牧畜が始まります。これが1万年前です。
 人間の力によって植物を育てることを農耕といいます。それと同じように人間の力で動物を育てていくことを牧畜といいます。

 今までは狩猟・採集の生活でしたが、ここからは農耕・牧畜という新しいルールの生活に入ります。ここでルールが変わったのです。


【牧畜】 この2つは全然違うようでいて、自然界のものを人間の作業によって作っているという点では同じです。植物を作るものを農耕といいます。動物を育てることを牧畜といいます。
 植物か動物かの違いだけで、どちらも人間が作っていくという点では同じです。人間が手を加えて作っている。自然界のものを自分の都合に合わせてつくっていく。そういうことが始まると、飛躍的に生産量が上がります。

 我々は飽食の時代といって、本当に腹が減ってひもじい思いをしたことがない人間が大半を占めていますが、人間は昔から、食い物の怨みは恐ろしいといいます。まずは食い物なんです。

 スマートフォンが壊れても死にはしません。でも食い物がなければ3日で死にます。その食い物をどうやって確保するか。人間のように全世界に散らばっている哺乳類は、他にはいないんです。
 乾燥したところでは、水は生き残るために必要不可欠で余分な水はありません。日本のように湿ったところでは、稲のようなものが、地域限定で自生しているんです。地域によって違うんですね、育つものが。

 何が育つのかによって、その後の文明の形が違うんです。 代表的なのは、古代文明メソポタミアです。ここから発生して東西に行くもの、その代表は小麦です。
 ヨーロッパ人は小麦、パン。アラビアではナン。パンとナンはほぼ同じです。これは小麦粉にして、こね上げて、火にかけて、それを膨らまして食う。手間暇かかります。


【原産地】 新大陸はじゃがいも、トウモロコシです。もし日本の鎌倉時代のドラマにじゃがいもを煮るシーンがあったらそれはウソです。その頃の日本にはないのですから。
 じゃがいもも、今では当たり前のように食べていますが、これはアメリカにしかない。じゃがいもの原産地はアメリカだから、戦国時代まで日本人は知りません。インディアンはすでに住んでいます。こういう食べ物が、ヨーロッパ人による新大陸発見後、全世界に広がっていきます。


【稲】 小麦人口は多いです。しかし稲人口はそれに変わらないぐらい多い。稲は中国南部原産です。長江流域、そこから日本、東南アジア、インドへ広がっていく。
 なぜこれが大事かというと、稲の穂は実ると頭を垂れます。それに対して麦の穂は実ってもまっすぐに立っています。なぜ稲穂が頭を垂れるか。それだけ重たいからです。
 何を言いたいかというと、どっちが収穫が多くて、どっちが人口収容力が大きいかです。ダントツで稲なんです。ということは稲のある東アジアが豊かなんです。
 土地がぬかるんでいないといけないから、栽培しにくいけど。それさえクリアーすれば、麦の実る西アジアよりも、稲の実る東アジアの方が人口収容力が大きく、より豊かです。今でも東アジアの人口密度が西アジアよりも圧倒的に高いのです。

 水田は人工的に作ったものです。水田は人間の手が加わらないと、今のような水田はできません。しかも斜面では水田はできない。稲を植えるときには、田植えをしますが、水田に高低差が10センチあれば水田はできません。水は均等に水平にしか張らないから、水が偏ってしまうんです。水田ができるためには、完壁に水平な地ならしが必要です。だから昔の水田というのは、それほどの土木工事できなくて、狭くて小さいです。

 今のような一辺50メートルもある水田なんか我々が小さい頃にはなかった。今のようになった最近の大圃場整備の結果です。これで大きな水田ができた。一気に一枚の水田面積が広がった。高い土木技術が必要です。稲は収穫量が高い。だから人口収容力が多いのです。


【文明の誕生】  ここで4つの文明が誕生する。インダス文明、メソポタミア文明、中国文明、エジプト文明です。


【東が豊か】 モノは2000年間一貫して、約200年前にイギリスが勃興して産業革命が始まるまでは 東が豊かです。人口が一番多い国は中国です。今13億人です。次はインドでしょう。今12億人です。地球の中で人口は圧倒的に東が多い。西は麦だから、食糧は乏しいです。

 だからモノの流れは200年前まで、一貫して豊富な東から乏しい西に流れていました。西の人間は東のモノが欲しかった。中国のモノが欲しかったんです。インドのモノが欲しかった。ヨーロッパが進んでいたというのは、最近のことです。200年前までヨーロッパは田舎です。それが歴史の基本です。モノの流れもそうです。


【シルクロード】 シルクロードがあります。ローマの絹を中国がもらうと思っている人がいますが、逆ですよ。シルクロードのシルクは絹です。絹はどこでつくられたか。中国です。それを誰が欲しがったか。ヨーロッパ人が欲しがったのです。これがシルクロードです。こういう大きな2000年の流れがあります。

 これちょっと自覚しておかないと、ヨーロッパ人がなぜインドに行こうとしたのか、よくわからなくなるんですよ。マルコ・ポーロというイタリア人がなぜ中国の元朝に行ったのか、わからなくなるんですよ。唐の都長安になぜペルシア人がいっぱい来たのか、わからなくなるんですよ。東のほうが豊かなんです。


【西暦】 最初の文明として、ここではメソポタミアから。  今のイラク、ペルシア湾あたりです。紀元前3000年だから、今から5000年前です。紀元というのは西暦です。これはキリスト紀元です。

 ヨーロッパはキリスト教だから、キリストさんが生まれた年が紀元0年と信じられてきた。しかしこれ間違っていたというのが最近分かった。数年ずれている。長いことそれがわからなかったんです。

 12月25日はクリスマスですが、キリストという生まれた年もわからなかった人間の誕生日がなぜ分かるのか。12月25日が、キリストの誕生日というのは大嘘です。生まれた年がわからないイエス・キリストの誕生日が分かるわけがありません。

 あれはもともと冬至の祭りです。冬至には1年で太陽が一番短い日、そこから太陽が復活する。それを世界的にみんなが祝う。それがルーツだと言われます。


【富】 ここで豊富な生産物は小麦です。西アジアは砂漠が広がっていて、日本のように水が豊かではありません。そのなかで比較的水が要らない小麦、これが自生していた地域です。肉と違って小麦というのは1~2年間は貯めることができる。肉は2~3日で臭くなって食えない。貯めることができるもの、これは富になるんです。

 そうすると貯めるのがうまい人と下手な人ができて、貧富の差ができる。それが人間の階級になっていく。金を持っている人が今も昔も強い。生活に困っている人、お金を貸してと言う人が弱い。貸してやるぞという人が強い。食い物を貸してやる人が強い。それが数百年続くと、あの家は代々立派な家だとか言われて階級ができる。彼らが支配階級になっていく。


【祭り】 それだけではなくて、人が集まって住むところ、日本もそうなんですけど、多くの村々には神社がある。鎮守の神様です。日本のあちこちにある。そこでお祭りをするんです。みんなで祝う。春祭り、秋祭りをする。人が集まるところには決まって神を祭る場所、神殿や神社ができます。

 人間が移動の生活から、定住の生活に移行するとき、最初に定住した人は怖かっただろうと思う。自分の周りにはその日の糧を求めて移動している集団がいっぱいいる中で、自分たちだけ定住して穀物を貯蔵していれば、いつ敵から襲われるか分からない。

 しかも定住していてそこから動かないとなれば、なおさら狙われやすいんです。  だから村の周囲には立派な城壁を築いて、敵の侵入を防ぐんです。


▼国家の成立



【都市国家】  そうやってできたのが都市国家です。紀元前3000年、今から約5000年前。その早い地域がメソポタミアです。
 彼らにとっては、定住そのものは恐いことです。だから村を守ってくれる神様を祀る。たぶん真っ先にやったことはそれでしょう。神様が守ってくれないようなところは、恐くて恐くてとても住めなかったでしょうから。
  だから多くの都市国家では神殿が作られます。

 神殿ができると神主さんも必要になる。すると彼らを養う必要がある。それが税です。そして彼ら神官に神の声を聞いてもらうようになります。その神の声に従って村の動きが決められていくわけです。


【神殿】 メソポタミア地域では、ここで栽培される農産物は、米、麦のどっちか。麦です。そういったものが余ると神殿への貢納を行う。余ると神殿への貢納、神殿は政治とは関係ないと思うかもしれませんけど、大ありです。

 多くの場合、神殿で一番偉い神主や神官が、王になります。彼らは神の声を聞き、それを皆の衆に伝えます。皆の衆はその神の声に従うわけです。ということは、その神の声を伝える神官は、皆の衆に対して命令権を持っていることになります。ここから「王」が発生します。

 一方で彼ら神官や王は、彼らが聞いた神の声が効果がなかったり、失敗すると責任を取らされます。雨乞いをしたのに、雨が降らないのはなぜなんだ、というふうに。  神は間違うことはないわけですから、間違ったのは、神の声を聞きそこなった神官や王なのです。交代するだけでは済まないこともあったでしょう。

 古代の政治は、神様を祭ることと切っても切り離せません。これは変な政治ではなくて、日本の江戸時代も・・・今はあまり時代劇を見ないかも知れませんが・・・政治のことを時代用語でいうと、政治という言葉はなかったんです。政治のことは何といっていたのか。「政りごと」と書いて「まつりごと」と言っていた。政治とは神様を祭ることだったんです。こういう言い方はずっとある。政治というのは「祭りごと」だったんです。

 神様を祭ることによって、人が集まって、政治ができるんです。神殿ができると神主ができる、その神主が王になる。神のもとに人間が集まれば、神に一番近くに使える人が力を持つことは自然なことです。


【神主】 神主は非常に力をもっていく。文明発生の地域によって若干違いはあるけれども、日本もその例外ではありません。

 そういう中から小さな国の中心として、人が集まる都市ができる。これを都市国家といいます。日本のイメージでいうと、30年前に九州に典型的な遺跡が出ました。佐賀県の吉野ヶ里遺跡です。そういうところの人口密度は、他の地域から比べるとダントツ多い。


【記録】 あれがちょっと大きくなったものと思えば良い。そうすると、そこで税金を取るようになる。人が多いから誰から税金を取ったか分からなくなる。記憶には限界があるので、それを記録しておくことが必要になる。それが文字です。

 だから国が発生すると文字が生まれる。当初は粘土板、パピルス、ダントツ保存力が良いのが中国の紙です。まず書ける文字、次にそれを何に書くか、それが紙です。紙はあとで出てくる。そうやって強くなった国は、小さな領土からどんどん周りに広げていく。


【征服の4段階】 それは征服という過程を取ります。この征服の過程に4段階あって、 1つめに、戦わずに逃げる。 2つめに、戦って負けて殺される。 3つめに、戦って殺されなかったら奴隷にされて働かされる。 4つめに、税を取られる。

 税金はお金で支払うものと捉えがちですが、ここには何がないんですか、今を基準に考えると分からないんですよ。お金がないんです。
 では税は何で払うか、体で払うんです。ここ掘れ、ここ耕せ、と言われたら、体を使って言われたとおりにする。こういうのを人頭税という。今はない形です。これは昔、労役という形で日本にもありました。
 そこにお金が発生すると、10日働く代わりに10万円支払うようになる。それが今の税金です。


【遊牧民】 もう一つは、日本には遊牧民はいないけれども、中国にもヨーロッパのあんなに広い大陸では、日本列島と違って100倍ぐらいの面積がある。そこには土地を耕さない遊牧民がいるんです。

 文明の発生は2つ、1つは植物を育てる。もう1つは動物を育てる。この2種類なんです。我々は植物を育てる文化をもつ農耕民です。植物を育てるのも技術なら、動物を育てるのも技術です。これが遊牧民です。

 この段階では戦争してもどっちが強いということはないけれども、遊牧民が馬に乗り出すとこれがダントツに強くなる。鉄砲もないこの時代には。ただここでは喧嘩ばかりしてるんではなくて、世界レベルで見れば、時に喧嘩し、時に物々交換をして交流をしていく。

 戦いはじめると国ができます。これはあまり書かれてないけれども、戦う必要がでてくると、人は人数が多くないと勝てないことに気づく。だから多くの人間が集まるようにするためには国が必要になる。国というのは戦うための組織だという一面がある。

 それは、この後、いくつかの文明を見ることによって触れていきますが、そうやって四大文明といわれるものが生まれます。

 近いところから中国文明、黄河のほとりにできたから黄河文明ともいう。次、インドにできた。インドを流れる川、インダス川、これはインドの川という意味です。インドの西側を流れる川です。それからピラミッドのあるエジプト文明。その次は、最近アメリカに爆弾落とされたりして混乱が続いている地帯ですけれども、メソポタミア文明です。それからアフリカの入り口にあるエジプト文明です。


【民族】 世界史をやるときに我々日本人が意外と理解が弱いのは、民族のことです。というのは、日本ではどこに行ったって日本語が通じるし、どこに行ったって日本にいる人のほとんどは日本人だから、それを当たり前と思っている。
 しかし他の国はそうじゃない。ちょっと川をまたげば、川の向こうは顔も形も違う、言葉も違う、そういうの違う異なった民族がいるんです。そしてその民族同士が時としてぶつかり合うんです。

 言葉が違えば、文化が違い、宗教が違い、食習慣や生活習慣が違う。彼らが一緒に暮らすのは、我々のようなどこも同じ言語や習慣を持った日本人と違って非常に困難です。だから喧嘩が起こりやすい。

 民族を分けるときに、一番のポイントは、習慣とかいろいろあるけれども、一番には言語です。言語が違うと、文化も違うことが圧倒的に多いです。


【言語】 主に三つの言語集団があります。言語が同じ集団を語族という。世界史で1番ででてくるのは、インド=ヨーロッパ語族といいます。ヨーロッパ人グループのことです。インド人とヨーロッパ人は違うようですけど、確かに一見すれば肌の色が違いますが、しかし言葉的には同じです。親戚です。英語、フランス語、ドイツ語などは、もっと近くて、方言の差が大きくなったようなものです。

 これに対し、我々日本人はアルタイ語族です。文法的には韓国語と日本語は似てる。我々が全然違う種類の英語を学ぶのは、フランス人が英語を学ぶのとかなり難しさが違う。我々にはとってはかなりハードルの高い言語です。韓国の新聞は、漢字で書いたものを、その漢字をなぞっていくと、だいたいわかります。語順は日本語と同じです。これをアルタイ語といいます。ただしこれについては異説がありますからよく分かりません。これに対して英語は語順が全く違いますね。

 それからメソポタミアあたり、エジプトあたり、セム語族。 この三つ、この順番によく出てきます。こういうのを語族といいます。
 これで終わります。ではまた。

贅沢

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還暦を過ぎて、体を使って何かができることは、一つの贅沢には違いない。
歩いてお遍路ができること、下手な剣道ができること。
そしてお酒がおいしく飲めること。
タバコがおいしく吸えること(これはマズイかな)。

それが贅沢である証拠には、そんな贅沢はいつまでも続かない。還暦を過ぎて、まだそんなことができることは、俺の人生そう捨てたものではないのかも知れない。
お金はないけど、人並み以上の贅沢だな。

小泉進次郎入閣?

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滝川ナントカとの婚約騒動といい、今回の入閣報道といい、
なんだかなあ。

まるで英国王室のプリンスみたい。
もとはと言えば、入れ墨の又さんだ。
小泉王朝にでもなるつもりか。

首相官邸で婚約発表しただけでも、場違いなのに、
なぜか批判なし。

人は彼を安倍政権にものが言えるすごい奴だと思っているが、
花を持たせてもらっているだけ。
親の七光りに批判もなし、というか批判が封じられている。

こんな人間が将来の首相か。

変革を求める?
とんでもない、何も変わらないよ。
ますますアメリカべったりがひどくなるだけ。

36度の平熱

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人間の平熱は36度。
人間が耐えられる気温は、33度まで。
快適なのは25度。

気温が36度になると、人間は耐えられない。
この常温では人間は体温を下げることができない。

人間は体温を下げることによって生き延びている。
人間が運動することができるのは、常温が体温以下であるからだ。
36度以上になると、運動することができなくなる。
運動によって上がった体温を下げられなくなる。

今、夏の気温が37度になっても誰も驚かない。
9月28日の今日、室温が36度になった。
こんなことが異常でないわけがない。


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